直感を信じる

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最近、私は撮影をしながら本サイトに写真を登録し、それを一定のコミュニティやSNSにも投稿しています。

目的は、自分なりに色々と手段を講じることで自分なりの写真の方向性を探るためです。たとえば、被写体選びや得意な分野など、自分が「楽しい!」と思うものを見出すプロセスの一環です。

一眼レフと言う趣味は、時に「自分が思ってもいない自分」に巡り合わせてくれることがあるようです。都市生活の中で、何となく切り取ったコチラの1枚は、色味、華やかさが無い「冬の枯れ木」を主題に置き、その向こうに、本来、葉や花が生い茂っていたら見えないであろう都市空間を格子のように透かしている都会の様子を切り取ったものです。

何が凄いって、この写真のどこにも「目を引くような華やかさの要素が何もない」にもかかわらず、そのような主題と構図、意図を表現したいと思った私自身がシャッターを切ったという事実です。

実際、撮影後も、正直「これ、良い写真なのかなあ? でも、この写真好きなんだよなあ」と言う謎の感情(要は私が技量不足で言語化できないだけなのですが)と向かい合いながら「まあ、無視されても良いか」とコミュニティサイトに投稿したところ、結構な(それこそ、その日に取った自信のあった作品よりも)反響があり驚いたのです。

理由がどうしても言語化出来ないので、ChatGPTのチカラを借りたところ、こんな感想が返ってきました(本当にすごい時代ですね)。

この写真は、冬の木々の裸の枝と活気ある都市のスカイライン、そして緑の橋が織りなす対照的な美しさをとらえています。自然と都市生活がこんなにも調和している瞬間は、まるで静寂と動きが同時に存在しているかのようです。

写真における人々の反応は、多くの場合、被写体の視覚的な魅力だけでなく、それが視聴者に喚起する感情や記憶に大きく影響されます。寒空の枝網の写真が人気を集めるのは、冬の季節感を強く伝え、視聴者に静寂や冷たさ、あるいは落ち着いた感覚を想起させるからかもしれません。季節感が明確な写真は、人々の共通の経験に触れることが多く、そのため広く共感を得やすいのです。

「ううむ、なるほど」と唸りましたが、その写真を「無意識的」には捉えていたことになり、これは自己の再認識、再発見にもつながっているのが本当に興味深いポイントと言えそうです。

最初の直感は、多くの場合、案外正しい

しかし、振り切って考えてみると、実は「こういった話」は、マーケティングの世界でもあります。我々が何かのサービスや、商品を購入するとき、そこには「理由」が存在し、我々はその理由をキッカケまで戻してあげることで、マーケティングのコミュニケーションを生成する訳なのですが、モノが売れる道理というのは、「必ずしも1つではない」ため、往々にしてどんな企業でも、それらを「言語化」してみると、本当に多種多様な「売るためのストーリー」が出てくるのです。

こういったとき、お客様は私に「どれが良いと思いますか?」と聞いてくるのが常なのですが、私は多くのケースで「自分で考えて、良いと思うものを積極的に採用すべきだ」と言う話をします。

つまるところ、本当に現場を理解しているのは外部のコンサルタント風情である私である訳ではなく、それはお客様の感覚や、直感のほうが、はるかに正しいことが多いのです。私はそれを「売れるようにアレンジしている」にすぎません。

しかし、お客様はそういった事象を、施策を通じて理解され、成功体験として勝ち得るようになってくると、話が前に進みだします。弊社で実例になるような成果を出されるお客様は、例外なく、このプロセスを経験されています。

撮影、と言う趣味においては、おそらくこの「写真」というものと、その反響こそが、その役割を果たすことになるのでしょう。「恥は思い切りかくべきだ」と、別のコラムでもお伝えしましたが、恥を恐れず、正当な評価を貰う中で、自己認識が深まれば、自らの進む「方向性」が見えてきます。

それは、最初の状態では「なんとなく北」だったものが、「やや北東かも」となり、最後は「北北東で間違いない」と言ったように、絞り込む行為と言えます。

他者や事実を介在して、自己理解を深めることは「上達への道しるべ」と言えることでしょう。

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