足を止める

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私は普段のビジネスシーンはもとより、写真を撮影する際も色々考えており、だからこそコレだけの記事を毎日執筆している……となると、読者のみなさまが思う事は「つまり、常によく考えるべきなのか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

まあ、そうでなくても人間というのは、常に勝手に何かを考えている生物であり、だからこそ「瞑想」なんていうものは一定難しいし、価値があるものなのですが、「じゃあ、考え続ければ良いのか」と言うと必ずしもそうでもなくて、私は定期的に一定迄ものを考えた段階で、一回頭を「からっぽ」にする、というよりも「思考を止める」事があります。

それを言葉にすると「一拍置く」とでも言う感じかなと思います。

これは主に、考えが「ザー」っと流れているときに使うもので、特に「流れ作業的な思考」になりがちの時に行うと有効です。写真撮影で言うと、何となく街を眺めて一瞬「ん?」と思うか思わないかの刹那だけど、そのまま「まあ、いいか」とも思う間もなく歩いてやり過ごしてしまいそうなときに「いや、ちょっとまって」と、足を止めたり、数歩戻ってみたりするような感覚です。

一瞬、視界の隅に入った「違和感」を、「どうなんだろう?」と丁寧に精査している感じでしょうか。

結果的にそれは何でもなかったりすることも多いのですが、やっぱり「あ、何かこの隙間の景色が凄いな」とかがあったりするのです。何も考えずにぼーっと歩いたらやり過ごした瞬間、あるいはその直後にに足を止めるだけで、結構、なんでも無いように見えた景色が、実は魅力的に見えてきたりすることがあるということです。

たとえば、以下はある寺院の庭園から駐車場に向けて出ていく「通路」なのですが、自分にとっては(申し訳ないのですが)この寺院の丁寧に手入れをされた庭のどこよりも、この「何でもない小路」に興味を持っていかれました。

こういう一瞬は「やりすごそう」と思わなくても、何も考えていなければ簡単にやり過ごせてしまう「景色」なのですが、あえてそこで一拍置くことでモノの見え方が変わったりする。これはビジネスやマーケティングも同じで、ちょっとした「違和感」や「可能性」を「そのまま流さず」に、一回思考を止めて、最初から良く良く考察してみると案外気づきがあったりするものです。

結局、あらゆる情報にアンテナを立てていても、その感度が高くなければやはり情報を捉えるのは難しいという事でしょう。特に、年齢を重ねてたくさんの景色が「日常」になっていく大人は「考えるまでもないと思ってしまう常識」が多いからなおのことです。

そんな中にありながらも、わずかな違和感も見逃さないような繊細な感覚は、時として重要な気づきをもたらしてくれます。

「ふっ」と感じた僅かな違和感を写真に収めたり、そこから洞察を深めると、思考はもう一段階奥に行く事が出来ます。それを正しく捉えるためにも、何か引っかかった時は、思い切って「足を止め」たり、「思考を止めてみる」という「無駄に見えること」を手札として持ってみると面白い可能性が開かれるかもしれません。

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