基準値を持つ

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今月に入り、新しいレンズを投入しました。

これまでの標準、そして野鳥などで少し試していた望遠に加え「広角」のレンズが加わったのです。かなり近い距離からも広く映していく事が出来るという事で、実際撮影してみると、これまでの景色に対して「違い」が明確に見えてきました。

今は、このカメラを使った撮影を試す一方、実は私は常にこれまで使っていた「基準値」のレンズとカメラも常に携行しています。

具体的なレンズの広さで言えばそれは50mm単焦点。人間が片目で見ている世界を常に「真ん中」として考えています。

さて、そのように「真ん中(基準値)」を持つことにはどのような意味があるのでしょうか?

実は、これはビジネスでもカメラのような趣味でも、もちろん他の事でも言えるのですが、たとえば、マーケティングで言えば、我々は施策の上流部分から、下流の部分まで、あらゆる部分を改善できますし、これはビジネススキームもそうであれば、日々の生活についても同じことが言えます。

「いずれかの粒度の何か」をいじれば、その部分の数値や感覚は変化し、特に改善の初期のころはその影響も感じるため、ついつい、そこに焦点を置いてのめり込んでしまいがちですが「基準値」はこれを、「いつもの値」に戻してくれる効果を持ちます。

「そんなこと何か重要なのか?」と思うかもしれません。

しかし、写真撮影ならば、その効果はわかりやすいことでしょう。

たとえば、広角のレンズだけを覗いていたり、あるいは望遠のレンズだけを覗いていると、どうしても我々は「その視界(世界)が基準値」になりがちです。しかし、そういうレンズ越しに見える世界は、明らかに「本来の基準=この場合は片目から見える基本の世界(約50mm単焦点の世界)」からは逸脱しており、そうすることで、我々は「あたらしい視界、世界を見えるようになる代わりに、今までの世界が見えなくなる」と言う「うっかり」を起こしがちなのです。たとえばそれは、双眼鏡や望遠鏡から見える世界は魅力的である一方、そのレンズから見えている世界だけが景色ではない…ということです。

これは、「慣れ」の反作用のようなものですから、ある程度は「仕方ない」と思いますが、結局万事、成功の基本法則というのは「目の前に広がる新たな変化を捉えつつ、平常時の基準値も忘れずに持っておくこと」であり、名著、アルケミストと言う小説から引用するならば、それは「スプーンに入った水をこぼさないように注意を払いつつ、世界の調度品を楽しむ眼を持つこと」に他なりません。

我々はビジネスにせよ、人生にせよ、ついて、何か新しそうな「手段」を見つけると、それにのめり込んでしまったり、あるいはそこに集中するあまり、それ以前の「平常時」の感覚を失っていくものですが「基準値を持つ」事を意識出来ていれば、その「差」についても、同時に常に意識できるようになります。

カメラのようにわかりやすい「基準値」がある事はむしろ稀ですが、変化はそれを受け入れつつ「基準値」を抑えておくことで、常に「変化量」を正しく捉えることが出来ます。自分にとっての基準値を持ち、ブレない姿勢を形成しつつ、変化も楽しめるようにしたいものです。

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