「普通」でいる

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この記事を執筆している時点で、当サイトを公開してから3週間ほどが経過しました。日々、カメラを片手に被写体を目にとめ、撮影をして投稿する…と言う事をルーチン化している日々ですが、今日はそんな中で「反省すべき点」をとても意識したので、その話をしようと思います。

何ごとにつけ、我々は物事をはじめて一定進むと「評価」を受けるようになります。特に私の場合は「恥をかく」と言う話でもシッカリ述べていますが、「自分の行ったことを物おじせずにどんどん世に出すのだ」と言っていますから、アウトプットにはかなり積極的でオンライン、オフライン問わず、色々な人に活動を伝えることにしています。

そういう事をしていると、嬉しいことに多くの「ポジティブな声」を頂けることもあります。これは本当にうれしいものです。

「ああ、こんなに感動してくれるのなら、もっと頑張らないとな」

そう思ってカメラを再び手にするのですが、その際にちょっとした事件にあいました。

何かがおかしい、その理由

自分で一眼レフで一生懸命場所を探して、構図を考えてシャッターを切る。いつもとやっていることは同じなのに、なにか「雑念が入っている」のが自分で解るのです。

端的に言ってしまえば、その時撮影した写真が「置きに行っている」というか、「ほら、こんな切り取り方、素敵でしょう?」と言う声が聞こえてきてしまうような、なんだか打算的、あるいは本当に感情がこもっていない。つまり、「他人に気にいられようとして創っている」ようなイメージでしょうか。

少し考えて、私は(ありがたい事に初期症状だったため)すぐに理由に気が付くことが出来ました。

要するに、「〇〇さんが好きだと言っていたあの好評の作品みたいなもの、あるいはそれを超えるものを撮ろう!」という欲目(気負い)だったり、「あの人気の良かった作品に似た構図にしたほうが良いんじゃないか」と言う欲目(色気)というものが確実に私のマインドセットに入ってしまっていたのです。つまり、雑念(ノイズ)です。

これは、SNS時代だと本当によくある「落とし穴」だと思います。一時評価が良かったから、それに引っ張られる。マーケティングでも「バズったSNS投稿」等が出ると、管理者は「もっとバズるんだ!」と言う方向にかじを切っていってしまうのは(特に、社内などは良いじゃないか!とか盛り上がったりもするので)本当によくあることなのですが、こういう時こそ「誰に、なんのために?」という本質を再び、そして何度でも問い直し、初期症状で軌道修正をしないと相当ひどいことになる。

「SNSの奴隷」みたいな人がたまにいますが、そういう人は「他人に思われている自分のイメージ」に振り回され過ぎて、結局本当のピュアな自分自身が見えなくなっているのだと思います。シンプルな言葉で整理するとそれは「誰かに求められているキャラを演じている自分」でしかなく、それが本質にたどり着けるのか?といえば、もちろん、そうではありません。

「原点回帰」という処方箋

こういう時の処方箋は一つです。とにかく「仕切りなおす」。これに尽きるのです。一回、それをパッとやめてみてもいい、「もともと自分はどうしていたかったのだっけ?」と時間を取って問い直してもいい。そのことにすら気が付けないのなら他人との対話を行い、何度でも「なんで?」と聞いてもらってもいい。トヨタには「なぜなぜ分析」という言葉がありますが、「なぜ」という言葉を5回も掘り下げてみると

例:今回の掘り下げ方
1)なぜ、雑念が入った写真を撮るのだ→みんなが喜んでくれたものに似せたいと言うプレッシャー
2)なぜ、プレッシャーがあるのだ→次の投稿でガッカリさせたくないという焦り
3)なぜ、そんなに焦っているのだ→今日の更新のネタが撮れていないから
4)なぜ、今日更新しないといけないのだ。→そうか。別にこの場は、自分マターだったっけ。

と言うように、「ハッと我に返る瞬間」があるのです。

で、思い直したのが原点回帰、「普通でいること」

これは書くのは簡単ですが、本当に難しい。でも、「自然体」を意識し(まあ、正しくは意識するものでは無いのですが)、それを行動に移すためのコツは「行動にすること」でした。

つまり、「心躍る瞬間を忘れないようにしないためにも、とにかく、余計なことを考えずに、色々なものを純粋に「観る」事に集中して、雑念無しで行く。そう、思って撮影したのが次の写真でした。

撮影後、画面を見て「ガッツポーズ」をしたのをよく覚えています。

自分が「うおおカッコイイ!」と心から思える作品。他人にどう思われようとも自分だけは「いや、何言ってるの。これ最高でしょ」と断言できるような作品。誰のためでもない、自分のための写真。

そして、それが、結果として「誰かのためになる」。

感動とは、結局そのような「想い」が誰かに伝わった瞬間に発生する「幸運」なのだと思います。

それこそが、商売と芸術の根本的な考え方の違いなのでしょう。

本末転倒などとは、もよく言ったものですが、本来「守るべきもの」を意識し、つねに平常心、原点、「感動」を忘れないように、取り組んでいきたいものです。

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