黙々とこなす

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私の経験則上、すべての鍛錬について、

1)成長曲線は最初に大きく勢いを持ち
2)ある程度で伸び幅が落ち着き
3)しばらく停滞を見せ
4)ある日再びドンと伸び、
5)また、しばらく停滞する

上記のようなループを繰り返すという前提を持っています。

ただ、このプロセスのどこかで「それが急に世間に注目されることがある」のもまた事実です。仮にそのようなケースが発生した場合、多くの周囲の人間は、その「瞬間」に感動するのですが、自分的には上記のループを繰り返している最中に発生したことなので「いや、前からやっていたけどな…」となります。

で、昨今のブログ側の更新頻度が落ちているのは(読者の皆様的には残念な部分があるかもしれませんが)実は自分にとっては「平常運転」となっており、「コツコツと写真を撮る」と言う部分では地味ながら着実に成果を積み上げギャラリーの方に追加しております。

さて、ではどの部分が平常運転なのかと言うと撮影のペースや、シャッターを切る回数、カメラを持ち歩く行為自体はもはや習慣化していますから、さほど変わらないのですが、端的言えば「自分なりに良い写真が撮れない」ケースが増えているという事です。

一日かけて満足できる写真がロクにない…なんて日もあったりしますが、これは私自身の私に対する期待値の表れだったり、試行錯誤している段階だということなので、健全な停滞であるのは理解しています。

重要なのは、こういったとき「成長が見られない(見えにくい)から」と言う理由で、離れてはいけなく、執念深くコツコツと積み上げ続けるという事です。結局、ベンチマークの対象は自分自身でしかなく、数枚だけ撮れている「うん、これはいいかも」と言う出来高に対して「じゃあ、どの部分を研鑽しようか」と着実に積み上げることは何も変わりません(はたから見ていると、そこに派手さがないから面白い光景には見えないでしょうが)。

ただ、これは経営でも、マーケティングの体得の領域でもそうですが、正直、ほとんどの行為はこの「大量な地味な時間と積み上げ」が重なり続けることは未来を約束します。

正しい積み上げは、ある日、それらが一定の水準を超えたタイミングで、誰もが認めざるを得ない成果になり、だからこそ、そこにたどり着ける人は僅かで、賞賛されるようなクオリティになるのです。これは、弊社のWebサイト、私のビジネス、弊社で事例になるようなクライアント企業様を見ていても何度でも思う事です。

ただし、だれもが「気軽に目指し、気軽に達成できること」ならば、その行為にはそもそも希少性はなく、目指すべきことであったのかも分からなくなることでしょう。また、「時流に乗った本質的ではない事」も、流行り廃りという言葉のままに、流される事もまた、事実です。

まず「確実性の高いあたりまえ」を構築し、その「あたりまえ」を「あたりまえのように、あたり前に続ける」ことは、案外誰もが出来そうで、できないものです。本質を見つけ、そこに目を向け、コツコツと取り組む。その気力の源泉は「絶対に伸びる」と確信できる自信、つまり「過去に何かを無しとげた成功体験」です。

黙々とこなす重要性、それを成すための準備について、いつまでも大切にしていきたいものです。

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