魂を込める

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「作品性」というものを写真撮影の中に目指すようになって、自分が会社員だった頃の話を1つ思い出しました。私が、ある新人の本部長のもとでデジタルマーケティングを推進していた時のことです。その部長は、自ら「俺は、営業したしたことが無いからマーケのことはよくわからんのだ」と断言する方だったのですが、とにかくその方に「稟議書を持っていく」と凄いのです。

何がすごいって、どんなプレゼンをしても最後の質問が常に一緒で「たった1つ」なんですね。それがどんな質問かというと、

「まあ、詳しい詳細まではわからんのだが、これ。お前の魂はこもっているのか?」

と、まあ、これだけを聞いてくる。その時の自分を「まっすぐに射抜くように見てくる視線」は、もうその会社を辞めて10年以上経ちますが、今でも昨日の出来事のように思い出せます。マーケティングって結局最後は「そこ」なんですよね。だって、天才だのなんだと言われても「神様」でもなんでもない訳です。だから、最後は気合と度胸で行くしかない。

そういう時に、その視線の中には「何かあったら責任を取るのが俺の仕事だ。だからお前は俺の前で言い切れ。この仕事に、お前の魂はこもっていて、これ以上はないと言い切れるのか」という言葉が確実に入っている。

だから答えはいつも「YES」でなければならないし、ましてやそれは「中途半端な気持ちから発せられる言葉であってはならない」ことは間違いありませんでした。

どんなに上司が変わっても、私はあの時の、あの上司の、あの視線と胆力は、いつまでも心から尊敬しています。今思い返しても「すごい」と、感嘆するほかないのです。

魂を込める事を覚えると、あらゆることを「やり切れる」ようになる

実は、この経験が、今の私の全てを構築している「素養」の1つになっています。言い訳ができないほど、やり切るというのは言うほど簡単なことではありません。ましてや、それで誰か他人が責任を被るならなおのことです。成否はさておき、そこだけは最小限のリスクにしないといけない。

そう考えると、あれはビジネスや、上司部下を超えた、「人間の信頼関係」を成り立たせるための「覚悟の話」だったのだろうなと思います。

写真を撮る、ここに文章を書く、自分のビジネスをやり切る、全てにおいて、私の脳裏にはあの時の視線が問いかけているのだと思います。「お前のその仕事に、魂はこもっているのか?」と。

もちろん、年がら年中、毎日そんなテンションで活動していたら死んでしまいますが(笑)、メリハリをつけて「やるべき時はとことんやり切る」というのは何事においても重要なのだと思います。

昨今、世間では本気になることを自ら茶化してみたり、予防線を張ったり、のらりくらりとかわしてみたり……というようなスキルばかりが注目されがちですが、私は不器用なので「いや、もっと素直にずっこけたほうが楽だよ」と今でもずっと思っています。

実業家として成果を出し、社長として公人のブランドを構築しても「ヘッタクソな写真」と揶揄されればいい。「社長なんだから失敗なんかありえない」なんていうのは、私に言わせれば傲慢・慢心でしかありません。たった1つの瞬間に成功しただけの人間が、なぜ「全知全能」のようになれるのか。

泥だらけになって「まあ、こんなもんだよ」と笑っているほうがよっぽど人間的な人生です。そして、それこそが、初期に書いた「存分に恥をかく」という行為の源泉にもなるのです。

つまり、「魂を込めること」を意識すれば、その成否に関係なく「やりきった清々しさ」も得ることができるのです。自分に言い訳せず、ありのままを認め、そこから改善へ着手する。それこそが「上達のプロセスそのもの」ではないでしょうか。

そんな過去を思い出しつつ、今日も「魂を込めた1枚」を撮影すべく、「一生懸命、遊んでいる」わけです(笑)

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