慣らして慣れる

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カメラを持ち始めて、歴日ペースでは100日を数える事になりました。撮影ベースでは50日少しですから、今日現在では概ね2日に1回はカメラを持ち歩いていることになります。まあ、今後は、このペース自体は少しずつ落ちて行って「量から質へ」のような転換が入っていくと思いますが、最近カメラを持って色々巡っていて思う事は「体験がようやく実を結び始めている」という自覚です。

たとえば、これはマーケティング領域はもちろん、仕事全般でもそうですが、ある程度回数をこなしていくと「理屈を考えるまでもなく、自然と経験と理屈の融合で、ほぼ無意識的に一定の最適解が出せるようになる」という事象が起こるようになります。

具体的にそれを写真撮影で表すと、たとえば、撮影旅行の前日に翌日の天気予報を聞いて、たとえばそれが曇りなら「距離を犠牲にしても明るく撮影できるレンズ」をチョイスしてみたり、あるいは晴れ晴れとした青空が見込めそうであれば思い切って「距離を稼げる、少し暗めのレンズセット」などに切り替えるように頭が回る……と言った事です。

これは、写真撮影における「曇天」と「青天」の違い、その時の撮影のイメージを、これまでの写真撮影の経験則から「まあ、これを持っていけば早々外さないんじゃないのかな」という予見を持ってチョイスしている……と言うことになるのですが、これは明確に「過去の経験則」から導かれた「次へつながる予測」であり、それが何度も、上手くいったり、あるいはいかなかったり、する中で、練度が上がり、精度が上がっていくのだと思います。

私もマーケティングの分野で、かれこれ20年弱も現場にいますし、昨今は、それを生業でご飯を食べている訳ですから、そりゃあ、本日現在では、誰と比べても「圧倒的な質と量」から、あらゆる仕事を処理できるようになっている自負がありますが、それにしたって結局は「鍛錬の先にあったもの」ですし、今日現在でも「極めた」なんて思考は当然なくて、日々学ぶことが多いものです。

「習うより慣れろ」と言いますが、この辺りの「行動の感覚」と言うのは趣味にせよ、ビジネスにせよ、人生にせよ、やはり「経験がものをいう局面」と言うのは当然あるだけで、この辺りの経験が手厚い事で、様々なイレギュラーに対応できる「土台」が出来上がるのでしょう。

そのためにも、日々の行動を「なんとなく」実行するのではなく、「何のために行っているのか」を意識しながら、道具の扱い1つを取っても、極端な選り好みをせずに、使い込みながらコツコツと「慣らしていく、慣れていく」ようにしたいものです。

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