自責を意識する

7

写真撮影を行うようになって、自分の思考回路で「上手く使えているなあ」と思う事が、まあ、写真ですから「自然の対話」みたいなものがある訳でして、それは都市生活(空間)を切り取っていても日常的に起こることなのですが要は「お天道様のことはどうにもならん」みたいな天気の話しかり、野鳥撮影における「偶然の瞬間との出会い」みたいなものだったりします。

私自身、生まれてこの方、特殊な名前(混血のためカタカナ)で生まれてきたこともあって周りからの「評価・心象」と言うのは、私の意見・行動などに関わらず勝手に決まってしまいまして、どういうに行為ことはビジネス上も良くある話で、つい最近で言えば「コロナ」なんかもそうですが、こんなもの、基本的には「誰にもどうにもならない」ものです。

しかし、そういう状況(環境)を「ただ憂い、ただ怒り、ただ苦しんでいる」というのはいかにも進展が無くて、我々が行うべきことと言うのは常に「で、その状況を前提にして、今何ができるのだ」というフォーカスであり、これはマーケティング施策などでも一緒です。

たとえば、マーケティング職種あるあるでは、大企業から中小企業に管理職として移った結果、「環境も整っていない、人員も足りていない、こんなんじゃできない」みたいなことを言う人もいる訳ですが、そんなもの中小企業なのだから当然であって、だからこそ自分が招聘されたのであり、その状況を打開してこその成果である。みたいな話は、本当によく聞く話です。

要は「自分でどうにもできないこと」に対して、怒るだけならまだしも、その現状をただ憂いているだけでは状況に進展などありえず、これを打開するには純粋に「で、この基本前提を元に、自分には何ができるのだ」と考えるほうが健全なのです。

マーケティングなら、限られたリソースで「出来ること」から徐々に状況を打開するのは当然ですし、写真撮影でも「曇天だから何も撮れない」なんて言ってたら一生写真なんか撮影できない(ベストコンディションなんか来ない)訳で、だからこそ「じゃあ、何を撮ろうか」と考えを巡らせる。

それこそが、タイトルで述べている「自責の範囲」を意識した行動であり、こういった「あらゆる状況への対処・対応」が自らのイレギュラーに対する対処能力を向上させ、あらゆる状況に適応できる「人間の厚み」みたいなものを形成する訳です。

しかるに、これこそが「体験こそが、知識のみを凌駕する」という本質であり、教科書的な学習のみを続けたところで成果が出ない理由です。解決できないことを憂うのではなく「その中で自分に出来ること」にフォーカスすることこそが、その人間の厚み(応用力)を育むのです。

という訳で、まあ自分が雨男なのをポジティブに捉えてみましたが(笑)、冗談抜きで、こう考えるほうがストレスフリーですし、雨の日は雨の日で、良いところもあるものです。「いま、その瞬間にしか出会えないもの」があるからこそ、そういった一瞬を大切に捉え、感受性をはぐくみ、「今日しか撮れない一枚を撮るぞ!」と趣味に向かい合うことは、健全なメンタルの構築にも一役買う事でしょう。

そのくらい、のんびり構えることを、忘れないようにしたいものです。

関連記事