アンテナを立てる

17

一眼レフを手にし、写真撮影を始めるようになってから、当ブログの取材や洞察記録のために、ずいぶんと多くのリソースを「素材探し」に使うようになりました。と、言っても物理的な時間をつぎ込んでいるのではなく、「そういう情報を拾えるようにアンテナを張りなおした」と表現するほうが正確かもしれません。

意識的に、目的をもってアンテナを立てる行為は、自分の情報収集の感度を自然に向上させることができます。

たとえば、、私がマーケティングコンサルティングを行っているときに、解り易い事例として「物件情報は、引っ越しを決めると入るようになる」と言うお話をよくするのですが、人間と言うのは面白いもので毎日目にする情報を視界にとらえていても「意識しない」と言う状態を創ることができる存在です。

ですから、会社でもありがちな「メールに書いてあっただろう?」とか「Webサイトにちゃんと記載してある」というのは「書いた側の思い込み」でしかなく、それが「伝わるのか?」と言うと別問題と言う事を、我々はマーケティングの基本として認識しなければなりません。「伝えた」と「伝わった」は明確に意味が違うのです。

さて、話を一眼レフに戻して、このように「アンテナを立て」始めると、飛び込む情報が変わってきます。被写体を探す……と言うのもそうなのですが、最も顕著なのは「週末などに行われるイベントの情報」がドンドンと目に飛び込んでくることが、これまでとの大きな違いです。

実は、毎日どこかで「何か」が起こっている

結局、そんなこともあって、私の予定は家族と過ごす以外の時間もだいぶいい感じに詰まってしまいました。早く仕事を終えた日の一日の過ごし方や、早朝の時間の使い方など、多くの場面で、私の活動が変わっていますし、そういった「飛び込んでいる情報」を見ていて思う事は「こんなに毎日いろんなことが起きていると、到底全部まわり切れないな……」と言う思いです。

これまでは、パッと時間のできそうな週末の前にちょっとだけ検索をしては「何にもやっていないなあ」などとボヤいてたことも多かった私ですが、今から考えると「そう考えてしまっていた理由」は2つあるのだろうなと思います。

1つ目は、「何かないかなあ」と思っていた事です。つまり、目的意識が明確でなかった。別になんでも良いんです。美味しいものが食べたい、良い景色が見たい、ほっこりしたい……そういう「何となく」でもイメージを持たずに「なんかいい提案無いか」と見ていれば、アンテナは広さを担保出来る一方で、深さは弱くなります。

2つ目は、それに近しい部分ですが、今は明確に「写真が撮りたい」という目的のうえにサーチが成立するため、美味しいものも、きれいな景色も、ほっこりするような雰囲気にも「価値」を持たせられたことです。つまり、すべてを「被写体」として捉えることで、最終的に私のマインドは「どんな写真が撮れるのだろう」と言う事に意識を集中させられるため、これらの提案に「明確な判断基準で順位付けが出来るようになったこと」だと思います。

つまり、私のニーズは「本メディアのネタになる、良い素材を探して作品を創る」と言う、極めて具体的かつ明確なもののため、「何かないかなあ」というボケた解像度よりもはるかに提供された情報を深く捉え、吟味することができるのです。

これは、マーケティング領域でも良くお伝えしていることですが、基本的に「多くの人に訴求できる言い方」というのは、その目的を果たせる一方で「刺さり方(行動を促す)」については、甘くなり、逆に「ニッチな人を狙う時」は、刺さるときは本当に深く刺さるため、コチラの意図したメッセージを的確に伝えることが出来る傾向にあります。つまり、質と量は常にトレードされるのです。

アンテナを立て、具体的な意思を持つこと。「写真と作品」と言う部分に具体的にフォーカスする事で、私は改めて、身の回りは色々なことであふれている、とこの現実世界を捉えなおすことが出来るようになりました。

写真に限らず、このようなマインドセットを作ることは、創造性や感受性を若々しく保つ秘訣になるのだと思います。人生を楽しむ選択肢として、アンテナを立てられるような「何か」に真剣に向かい合うのも面白いものです。

関連記事