「失敗」と向き合う

42

自身、プロフェッショナル人材として、数多くの企業のマーケティングを改善していく中で、実は重要だと考えていることは「失敗との向き合い方」です。さすがに事業ではプロとしてご飯を食べている訳ですから、私自身は早々失敗はしない訳ですが、それでも「思ったよりは芳しくないな」という状況に出会う事はありますし、やはり市場という外部要因が大きい以上、避けられない事実です。

また、私が間違えなくても、お客様が「実はこういう事を時間が無かったので自分なりにやってみたのですが、全然成果が出なくて……」と後から報告を受けることもあります。「事前に相談してくれればよかったのに…」と思いつつも、その当時は、彼ら自身「自分だけでもできるかも!」と思って行った挑戦ですので、その心意気は尊重したいところです。

翻って、私自身の話をすれば、始めたばかりの「写真」となると、この「失敗」の発現率は顕著に向上します。

それはそうでしょう、まだ一眼レフを本格的に始めて(本日時点では)1カ月も経っていないのですから。当サイトに掲載している写真も、まだまだレベルが高いとは決して言えませんが、その裏に同等、あるいはそれ以上の「ボツ」作品が存在しており、ロケーションそのものから「無かったことにしている」写真なども事実、存在します。

しかし、これも、私がクライアントに思う「挑戦への心意気」は尊重したいところです。

そのうえで、「失敗への向き合い方を、正しく対処する」方法について考えてみましょう。

認める、見つける、考える。

さて、何かを行って「ミス」の局面に出会ったとき、どのような思考が「成長」に繋がるのでしょうか。

数多くのクライアント企業を見てきて思う事は、「成長できる人には必ず、ある特徴が存在する」と言う事です。それが「自責(認める)」「発見(見つける)」「改善(考える)」という3要素です。

ミスの対処は必ず「認める」ところから始まります。もちろん、どう考えても自分のせいではない……と言う事も世の中にはありますが、それにしても一度は「自分が要因になることはなかっただろうか」と考える方が建設的です。ストレスを一時的に引き受けることにはなりこそすれ、「認めない事には、そもそも思考が続かない」ということになるからです。

撮影の局面を例に考えてみましょう。たとえば被写体の前を、人や自動車が横切ったとしましょう。この状況に対してその「横切られた」という事実だけを切り取って「今のは自分のせいではない」と思うのは簡単です。

ですが、一歩視野を広げれば「もっと、周りに気を遣えばよかったのではないか」とか、「もっと別の時間を選べばよかったのではないか」とか、「少しずれることでこうはならなかたのではないか」など、考察の余地が生まれてきます。状況のみにフォーカスするのではなく、その前後関係なども考えてみることで対策するための現状、次回から活かせる「収穫」が「見つかり」ます。

この一連の作業が「認める→見つける」という相互作用です。認めたのは「技術不足」、見つけたのは「改善できそうなポイント」となります。次に、これらひとつひとつに対して「吟味」を行います。つまり、対策を「考える」というフェーズです。

私は、失敗した写真であっても、「ロケーション、構図、手振れ、明度」等の要素の「何か」は間違っていないなと思った場合、その写真を持ち帰って、家でジックリ観察するようにしています。たとえば「ロケーションは最高だったけど、構図と明るさを間違えた」のであれば、その写真撮影には、リベンジの機会があるはずです。次回はこうしてみよう、こんどはカメラの設定をこうやってみよう。そんなような事を考えます。

そこまで来てしまえばあとは簡単です。反省の先に改善案を見つけたことで、次はもっとうまくできるはずです。

これは、写真のみならず、マーケティングでも同様の事が言えますが、おそらく「写真/データ」という成果物がある一眼レフの方が、その場に「形」が存在するため、より顕著に、より具体的に認識できるなあと思います。

結局、上達とは何事につけ「ダメな自分を改善していくこと」に尽きるのですが、そのために必要な要素から「眼をそらさない」で、何度でも挑戦する。カメラを通じて、改めて認識している、この「できない自分」とその心構えを、今後も忘れないようにしたいものです。

関連記事

error: Content is protected.