すべてを「師」とする

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写真と言うのは面白いもので、「感性」がとても重要になってくるようです。私がこの趣味を初めて強烈に感じている「価値」の一つに、「写真は見せるだけでも会話になる」というのがあるのですが、これはスマホにカメラ機能が付いている現代社会において、どんな企業に持って行っても良いアイスブレイクになります(会話についてこられない人がいないため)。

しかし、この趣味はどうも、そういった枠を超えて多角的な魅力を持っているようです。

それが、ある日の、私と娘の「写真を見せながらのやり取り」の中にありました。

娘が、その写真を「気に入らなかった」理由

私が写真を撮影するようになってから、娘にスマートフォン経由で、撮影した写真を見せる機会がずいぶんと増えました。写真という趣味の凄いところは、「必ずしも撮影に同行しなくても楽しめるところ」にもあると思います。最近の一眼レフがアプリ経由で、スマートフォンに簡単に写真を送れる……と言うのも大きなアドバンテージの1つでしょう。

元の写真。満足していたはずだが…

いくつもの写真をスマートフォン越しにスライドさせながら、娘は「この写真が一番好きだ」など、その日の成果を批評してくれます。さて、そんな中、「今日撮った写真をランキング付けてよ」と言ったところ、娘は「私なりには上手く撮れている」と思った写真について、娘が「うーん、これが最後かな」と、私と真逆の評価を行いました。

それがコチラの写真なのですが、個人的には「今日イチ」くらいの感覚があったので、「写真とはお本当に正解がないというか、面白いものだなあ」とその日は思いました。

そして後日、娘と、なんとはなしに、その話の「続き」をする機会があり、「この写真の何がイマイチだったのか?」を聞いてみたところ、本当に面白い感想に出会う事が出来ました。以下は、彼女のコメントをそのまま抜粋したものです。

「これね、左に赤い建物があるでしょ。ボートと空の写真なら良いんだけど、左の赤い建物が無かったら格好いいと思うの」

娘の指摘後。唸るしかなかった。

私は、「勝どき橋」と言う主題を真ん中に捉え、あくまでも橋げたが「シンメトリー」になるような構図を思っていたので、「配色」までは気が回っていませんでした。つまり、「そもそも赤い部分が写真にある」と言う事実すら(視界に入っているはずなのに)認識していなかったのです。そこで、彼女の言うとおりに、この部分を修正してみると……

なるほど! 確かに主題も構図も大きく変わります。

娘の言う通り、コチラの方が「はるかに良い」とすら思います。主題が「勝どき橋」から「勝どき橋を抜けるボート」に変わったのも特筆すべきポイントでしょう。もう少しスピード感が出るような取り方をすれば「疾走」などとタイトルを付けられたかもしれません。

「凄いなあ、良い眼を持っているなあ」と感心したのですが、思えばこの姿勢は普段、私がマーケティングコンサルティングでクライアント様にお話ししている内容と大差がないなあ…と思うようにもなりました。

さまざまな人間の意見の中にヒントがある

弊社の「出来るようになるコンサルティング」では、マーケティング部隊だけでマーケティング戦略を練ることをしません。営業や、バックオフィス、経営者や、技術者など、実に多様な人間の声を取り入れながら、実際の施策に落とし込んでいく……と言う事を大事にしています。

なぜ、そうするのか? 話はシンプルで「その方が成果が出やすいから」です。

むろん、この辺りをバランスを取りながらカタチにするのには一定のスキルが必要なのですが、何が重要かと言うと、「ひとりの人間の視点には限界がある」と言う事です。どんなに、その人間がその分野のプロフェッショナルだったとしても、1人の人間の視点には限界があるのです。

弊社がなぜ、私一人の個人事業でありながら、あれほど他業種、多様な企業で成果が出せるのか?というと、それは「私と言うカリスマ(じゃないけど)が天才的な才能を発揮しているから」ではなく、「その企業が持っている、組織、人材のポテンシャル」を引き出しているから……と言うのが実際のところなのです。

つまり、私はマーケティングのスペシャリストであるというよりは、「その企業の持っている本来のポテンシャルを引き出すスペシャリスト」と言い換えたほうが良いでしょう。で、なければ、あれほど事業規模も業種も跨ぐ中で、成果を出し続けられるわけがないのです。

翻って、その姿勢はどのように生まれるのか?と言えば、やはりこれは「偏見を持たずに、他者から学ぶ」と言う姿勢だと思います。

子供だから、部下だから、若いから、現場を見ていないから……と言う事は実際問題関係なく、その内容に触れた、すべての人が、各々の感性や視点から、その成果を「観て」います。

我々に重要なことは、その「些細なサイン」を一蹴せず、耳を傾け、謙虚に学び、実際にためしてみて、そのうえで咀嚼する……そういった一連のプロセスを、妥協無く行う事なのかもしれません。今回は、娘の意見に学びを得ましたが、公開し、他者の評価を受け、真摯に受け止める…ということは、このような「ひとりでは無しえない上達のヒント」をもたらしてくれることが多いものです。

どうか、この感動を常に忘れず、日々の活動に活かしていきたいものです。

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