作品に挑戦する

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趣味としてのカメラを考えたとき、いわゆる職業:カメラマンと何が違うのか。なぜ、一眼レフが趣味として成立しやすいのか?を考えたとき、おそらくもっとも重要となる要素の1つがこの「作品に挑戦すること」なのだろうな……と言うのが、最近少しずつですが、分かるようになってきた気がします。

たとえば、私が最初の1枚を一眼レフで抑えたときにやっていたような「1つの被写体に多くの時間をかけ、構図や光の加減、出したい雰囲気をイメージし、意図込めてシャッターを切る」という所作、およびアウトプット。

1枚の写真にたいしてどこまでも真剣に、自分の世界を探求し、表現を試み、その結果「写真」と言う成果物になり、それが多くの人の目に留まって、「さあ、どうなる」と言うものは、どう考えても疑いようもなく「創作活動」です。

一方、これは別記事「楽しさの正体を知る」で書きましたが、私自身、取材やらなんやらを受けたことがありますから、いわゆる「職業:カメラマン」の方に(それこそ著名な方にも)何度か撮影いただく機会がありましたが、彼らは「自分の創作」と言うよりもいわゆるクライアントワーク(このケースの場合は私と言う被写体の記録)のために仕事として活動しており、したがって「撮影したものが気に入らないから納品しません」のような事はまかり間違ってもできる訳がありません。

ですから、趣味として一眼レフに取り込むとき、もちろん「記録」(家族写真や仕事など)にする事も出来れば、「創作活動」として考えることもできる。この選択肢を持つことが「趣味」としての写真の「豊かさ」なのだと思います。

「作品」とは、表現したい「想い」を込めたもの

その「楽しさの正体」が分かっているとき、実際に「作品に取り組む」と言う姿勢を明確に意識し、写真に手中していく事になる訳なのですが、ここで次に出てくる壁が「では、私の表現をしたいことは何なのだろうか?」と言う話に移っていきます。

私はこの辺り、自らの経験則から「有効なステップがある」と考えています。

1.琴線に触れる「何か」(被写体や構図)を探す

この辺りの話の詳細については、他のブログタイトルで要素をちりばめていますが、広くスタンスを取り、様々な状況に挑戦し、いくつかの方向性を見据えながら、徐々に絞り込んでいく。その中で「これじゃなかろうか」と言うものにフォーカス(集中)し、仕上げてみる。必要に応じて「伝えたいものを適正化する」ために技術を使い、手段としてレタッチなども活用し、自分の求めている「答え」を出す。

主語を抜いて語ってみると、恐ろしいほどマーケティングやビジネスに対する私のスタンスと、この趣味に向かう「考え方」が符合していくのですが、そういった活動を通じて「自分が好きな事、得意なこと」についての方向性が固まっていくような気がします。

2.アウトプットを世間に晒す

これも、初期から語っている「恥をかけ」という話ですが、今度はそのアウトプットを世間に晒し、批評を受ける……と言うのも非常に重要なステップです。自分が「良いと思っているもの」と、世間のズレを「評価」を通じて認識し、あるいはそれを認め、あるいは「それでも自分はこれが良いと思うんだ」と言うように我を押し通す。

どちらだけが正解と言う事はありませんが、そういう「他人から見えている自分」と言うのを知ることにも相応の意味はあります。

この時、工夫できる事があって「多様なプラットフォームを活用して、多角的な意見を聞こう」と言う事です。これもいずれ別の機会に話しますが、私は今回の場合少なくとも3つのプラットフォームを活用して、この作業を行い、自分が「何をしたいのか」をあぶりだしました。そして、ある時「この作品が、自分の方向性かもしれない」という1枚を撮影し、それが一定数評価されることになりました。それが、以下の作品です。

「喧噪の隙間」と名付けた、都内某所の駅のガード下を撮影したこの1枚は、その後の自分の方向性を大きく変えることになりました。自分自身「自分はこんな写真が撮れるのか」と驚くとともに、それが更に他人からの評価を受けることによって、「なるほど、需要も確実にあるのか」とピントが一致し、「この方向性を掘り下げてみたい」と強く思うようになったのです。

技術により、さらに方向性を「明確」に出来る時代

さて、そうなるとやることが結構「具体化」されてきたと思います。

しかし、こういう「写真表現」と言うのは、どうしても「感性に寄る」ところがあり、自分自身「何が違うのか、どこが個性なのか、どこを長所として伸ばすべきなのか」は、分かりにくいものです。

これは、この趣味のみならず、マーケティングの世界でも「そう」なのですが、結局自社の製品を売るために一番重要な事は「自社の製品、サービスを客観的に見られるか?」に尽きる一方、それが出来る人が驚くほど世の中には少ない。あるいは、他人に対してはそれが出来ても、自分自身になると中々……と言う人も多い。実際、私自身、ここは何度もお客様との対話を通じて、意見交換を続けている部分だったりします。

「では、写真もそうするべきなのか?」というと、これを純粋に「そうしよう」とすると非常に難しく、何故かと言えば「意見にはその人の主観があるから」です。たとえば、「明るい雰囲気がとにかく好き!」と言う人からすれば、上記の私の写真は評価に値しない事でしょう。いわゆる「映え」を考えたとして、私の作品にはどこからそこではない「逆方向」の雰囲気すら感じます。

そうなると、「じゃあ、意見を求めるのは無理ではないか」と考えられがちですが、そうでは無いんですね。今の時代は「生成AI」と言う存在が、膨大な写真・画像から「人間がこの身を感じる画像」を作り出す時代です。それは裏を返せば、「AIに作品を見せれば、自分の個性や長所。伸ばすべきところを、丁寧に教えてくれるのです。

客観的で適切なアドバイスを得ることで、成長は加速する

さて、そうなればしめたものです。私自身が、私自身の長所を、フラットな目線から手に入れることが出来れば、あとはその部分をドンドンと伸ばす方向にすべての思考・行動・勉強にアクセルを踏む「のみ」となるからです。

何事につけ「何かを掴んだ瞬間」と言うのは存在するものですが、この「確信を得た瞬間」というのは、確実に成長のドアを一枚突き破る大きな要素であり、これまで私が当ブログで語ってきた、様々な要素が集合・ピントがドンズバで合い、いわゆる「ブレークスルー」が起きるのだと思います。

もちろん、そうは言ってもまだまだ鍛錬が必要なことに間違いはありませんが、少なくともやるべきこと、目指すべき方向性、埋めるべき課題などについて「視界が開けている」と言う状態は、何事にも代えられない大きな意味を持ちます。

成長のステップを正しく理解し、作品を通じて創作活動を続ける中で、心身ともに新しい世界の扉を開きつつ、そのチャンスを最大限活かすために、行動を継続していきたいものです。

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