「ひと手間」から学ぶ

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私が最初にパソコンに触ったのは私が12歳くらいのときで、いまから30年以上前の事です。当時はMS-DOSと言うNECのOSが主流であり、まだWindowsも存在していなかったため、真っ黒な画面に向かって色々と文字列(プログラム)を打って、作業を進めていく……と言うものでした。当時はちょっとした書籍くらいのサイズの5インチフロッピーと呼ばれる(ペラッペラの)媒体に、1.44MBくらいの容量で、だから現状のPCライフというのはまあ、当然「隔世の感」があります。

何が言いたいのかと言うと、そういう時期からパソコンに触れていましたから、インターネットにせよ「創世記」のころから触れており、今の様に当時は指標も溢れておりませんでしたので、「表示回数で課金するしかない広告」みたいなのが当たり前の時代だったわけです。

それが、技術が日進月歩で進んでいく中で、徐々にいろいろな施策が高度に実現するようになり、それに伴い各種の計測手法や、指標なども高度化され、最終的には現在の姿になっており、民間の資格試験でWeb知識を証明できるほどになりました。

昔から知っている身からすると「なんで、こんなことで資格になるんだろう」とか思ったりするのですが、まあ、若い人からすると「全部そろっているところがスタート」なので、そもそもの因果関係を理解するのは難しく、だから「まずは暗記して覚える」のも分かりますし、なんだかそれを少しかわいそうにも思います。

そして実は、これは、一眼レフについても実は同様だったりします。私は現在LeicaのM11と言うカメラを愛用して撮影しているのですが、このカメラ何が凄いって「マニュアルフォーカス」です。

「レンズを手動で調整して、被写体との距離を考察しながら、ピントを合わせた後で構図の配置なども考える。じっくり使って、速度が出なくて、連射もお飾りみたいなもので、だからしっかり撮る」

みたいな、ある種、「何かの儀式のようなプロセス」を踏んで撮影するカメラなのですが、今思えばこのカメラを手にしたことは大正解だったと思います。と、言うのもこの「不便さ・手間」と言うのが、撮影における各プロセスの重要性を経験を通じて理解し、まさに体得していくのに非常に都合が良いからです。

オートフォーカスで一定のピントが自動に合って、追尾して、連射しても大丈夫というのは、確かに便利なものですが、それは主に「仕事用の記録」などで失敗が許されないプロにこそ与えるべき機能なのかもしれません。不便さと手間というのは、撮影に関する「体験」も醸成しますし、何よりもその行動プロセスが「体得」に直結することで、結果的にオートだけを使っているよりも明らかに技術の向上が早いと分かるのです。不便さがあるからこそ、便利さの正体も見えますし、何が自分にとって重要なのかも「相対的に」見えてくるところが本当に面白い。

マーケティング領域でも「ツールを入れる」なんて話がありますが、あれにしたってそもそも本当は「まず、やりたいことがあって、それを手作業でやっていたものを自動化出来るからすごい」訳です。ツールは万能な魔法の杖ではなく、ツールは「そもそもやりたかったことの短縮の手法」であり、この因果関係が理解できる事でビジネスも結局上手く回りやすくなる。

そういう本質を理解すればこそ「マニュアルにあえて触れる」と言うのも成長の一つの手順なのかなと思います。あえて不便さを知れば、便利さの恩恵と、その欠点も見えてきます。回り道のようでいて、実は早いアプローチなのかもしれませんね。

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