「やらないこと」を決める

14

一眼レフを持ち始めてから「毎日なにがしかの撮影をしている」状態をずっと続けることが出来ており、これは実は結構自分でも驚いています。

正直、こういう継続は「初速だけドン!と出て尻すぼみ」(いわゆる三日坊主的な動き)も珍しくないので、むしろ「カメラを持ち歩くと、なんやかんや撮影できている」と言う近況は良いのでしょう。

単焦点のレンズ(50mm)を持ち歩き続けることで、だいぶ「明るさ、距離、シャッタースピード」への理解も進んできました。この辺り、マニュアルフォーカスと言う事もあってのことなのですが、その話は別の機会に譲るとして、やはり「事前に決める」事に価値があります。

この辺りの話は以前も「選択肢を厳選する」でお話をしてきましたが、最近はそこから半歩進んだアクションに変容しており、それが「やらないことを決める」と言うものです。

多様な選択肢が持てるからこそ「切り捨てること」が大事

私がとても好きな言葉に、「掴んでいるものを手放さなければ、次のものはつかめない」という言葉があるのですが、マーケティングの「やったほうが良い事を集めると、結局すべてやったことがいいになる」と同様で、知識やリテラシー、技術の向上は人の選択肢を多様にしていきます。最初は「どれに適性があって、どうなるかわからない」からこそ、まさに「いろいろやろうぜ」的に摘まむ中で、徐々に「これじゃなかろうか」と言うものに選択肢を厳選し、集中する。

そして、それが一定進んだラインでは今度は「対応できるものをあえて切り捨てて、最小構成で最良の結果を目指す。ことにシフトを写していきます。

これは、マーケティング領域だと「資料請求は多いほうが良い。だからとりあえず増やすんだ」とやった後に、大量の資料請求が獲得できたとして「自社のリソース以上の引き合いが来過ぎてフォローできない」と言う状況になった際に「では、資料請求のハードルを上げて、今度は質の担保をしましょう」と言うような動きと一緒です。

結局、目指す世界は「100本の資料請求から100本の電話をして10人の受注を貰う」のではなく「10本の資料請求が、全部受注する」方が明らかに生産性が高いわけです。しかし、「では、なぜ最初に資料請求を大量に撮るような動きをしたのか?」と言えば、「ゼロであるものを広げるのは心が折れる」からです。

つまり、引き合いが無い(少ない)理由が「需要が無いのか、訴求が悪いのか」が分からないんですね。

だから、最初に「最も大きくパイを拾って」そのあとで「厳選する」。そして、再度精度を上げて「拡張する」と言うバネのような伸縮を行うことが、遠回りに見えてかなり効率が良いのです。

カメラに話を戻すと、撮影に集中するために野鳥の撮影に持っていくカメラを1本に絞り、街中ではスナップ用に切り替える。くらいの幅はさておき、それ以上は不要(と言うか十分)だと思います。特に自分のスタイルだと、何枚も撮影することもなければ、何枚撮影したところで、残すのは1~数枚程度ですから、レタッチの手間を考えれば「撮影枚数が少ないほうがむしろ良い」くらいです。

このように、学習にはフェーズがあり、自分の進捗に応じて「最適な対応」は変遷を続けます。自分が今どのフェーズにいて、何をすべきかは「知識が足りないのか」「やるべきことがわからないのか」「絞る必要があるのか」「特定の分野を伸ばそうとしているのか」など、目的によって整理されます。

そして、先も申し上げた通り「手のひらは、開いていないとモノがつかめない」訳ですから。その目的に対して真っすぐに対応していく。こんな繰り返しを行う事で、シンプルながらも効果的な学習と鍛錬が進むのではないかな、と思います。

それこそが、単純な「詰め込み学習」との大きな差であり、当サイトが掲げている「まず、考える」の神髄とも言えることでしょう。

関連記事