余白を創る

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「自分なりに満足できるような、良い写真を撮るにはどうしたら良いのか?」または、ビジネスに置き換えて「本来集中すべき業務に注力すためにはどうしたら良いのか?」でも構いません。

今回は、これらを実現するために私が普段から行っている事について話をしていこうと思います。

そもそも、ビジネスにつけ、趣味につけ、私は「マルチタスク」と言うのが本当に苦手です。

ブログを書くときも、音楽すらかけないで(かけていてもわざわざ消して)一気に書き上げる感じです。各種の研究によると「マルチタスクが得意だ」と自負する人間でさえ、実はシングルタスクと比較して作業効率が落ちる……というのは人間における定説だとのことで、各種ビジネス誌も定期的に記事にされていますから、まあ、そのあたりを自認しているのだろうなと思います。

実際、私は一眼レフを持ち歩くようになってから大きく生活に変化があって、それが外出の際に「音楽を聴きながら歩く」や「スマホを触っている」時間が激減したことです。

おそらく、「視覚」にフォーカスしているのだと思います。そういえば、本当に料理を味わいたいときは目を瞑って味わったりしていますから、私は「意図的に五感を制限」することで、本来集中したいことにリソースを向けるタイプの人間なのでしょう。

この「当たり前」、実は意外に出来ていない人が多い

ココまで読まれて、「なんだ、当たり前の話じゃないか」と思われると思うのですが、最近分かったことがありまして「実は、案外多くの人がそうではない」と言う事です。

ちょっと、ビジネスの実例でお話しするのですが、たとえば、あなたの前に「リソースを大きく使う、時間と手間のかかる仕事」が生じたときに、案外、多くの人が「どうにか、この仕事そのものを簡単にできないのだろうか?」と考えがちになるという事です。

「え、それで正解ないんじゃないの?」と思った方もいらっしゃるのかもしれませんが、私がどうするのかと言うと「その仕事に集中して取り組むために、他の雑多な仕事を自動化、軽量化、簡略化する」ことをまず考えるんですね。

つまり「そもそも重要度も難易度も高い(と、自分が認識する)ものを簡単にするのは難しい」と考えており、そうではなくて「それを行うための、周りの各種リソース(集中・時間・体力)などを削ることで、本来の作業に集中するためのリソースを確保しに行く」という思想です。

マーケティング領域だと、施策はすべて「やったほうが良い」になる

これは、冗談みたいな本当の話なのですが、たとえばマーケティングでも「この施策はやったほうが良いんじゃないか」と言う話があった時、それがSNSの更新でも、広告でも、メールマガジンでも何でも良いのですが、基本的には「とりあえず、やれるなら、やっておいたほうが良いだろう」とかなりがちなが世の常です(と言うかそういう話にしかならないのです)。

ですが、こういう企業で、キチンと成果を出している企業を見た事がありません。そりゃあそうだろうなと思うのです。本来みんなが一点に集中させるべきリソースが、完全に「分散」してしまっている訳ですから。

私が、ビジネスにせよ、趣味にせよ、こういった考えに至った理由は「人間に与えられている時間のリソースだけは人類に等しく生じており、これを確保するためには他を削るしかないから」と言う認識が根底にあります。

学生の頃は「遊びたいから寝る時間を削って宿題をやる」みたいなことをしていたわけですが(まあ、それは生産性が良くないんですけど)個人的な経験則でお話しすると、このようにして創った「余白」は、難解な本題に取り組むときに「余裕」を生み出し、結果的に「本来注力すべきこと」の生産性を向上させることが出来る訳ですね。

「一眼レフを持って、被写体を探す作業」というものは(特に私の様に街中の風景から「おっ」と思うようなものを見出していくタイプの探し方は)、やはり「なんとなく、いつものようにぼーっと視界にとらえているだけ」では、見出すことが出来ません。特に熟達していない初心者のようなころだとなおのことだと思います。

「今日は探すぞ! 眼を皿にするぞ!」と、意識して景色や風景、日常をあらためて「捉えなおす」ことに集中させることで、ふとした拍子にシャッターチャンスが視界に捉えられる。

余白を創る大切さ。一歩引いて、「自分にとって楽なところ」からでも整理していけると良いのではないかなあと、そう思います。

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