理解をもう一歩踏み込む

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私のマーケティングコンサルティング時、たとえば広告バナーを掲出する施策があったとして、私のコンサルティングでは「そのバナーをクリックした人は=見込み顧客としてカウント出来る」と言うようなことを「しくみ化」し、その意図の通りに動くように設計していきます。

こういう施策を繰り返していく事で、これまで「クリック率」と言う単純な数字(指標)で捉えていたものに「需要」と言う意味付けが成されます。それにより「市場の反響」を調査無しで把握することが出来るようになります。

私はこのような一連の流れを「理解の拡張」と呼んでおり、それは、これまでシンプルに「クリック率」と理解していたものを「需要」と置き換えることで、今行っている「できごと」の本質を直感的に理解出来るように変換していくプロセスです。

上記のような言語変換が成されて行くことで、マーケティングは「覚えるべき学問」から「本質を理解する手段」に変容を遂げ、したがって実行をしている当人にとっても「身近で、わかりやすい、営業に直結する直感的なもの」であるからこそ、「出来るようになる」と言うカタチで覚えられるようになります。

写真撮影、趣味の方に話を振ってみましょう。

一眼レフ、写真撮影における「50mm単焦点」と言うレンズを初めて持った時、私はお恥ずかしながら「つまらないレンズ」だと思っていました。なぜなら、広角に撮影できるのでもなく、望遠に野鳥や飛行機などを撮影できるものでもなく、単純に「目で見えるような世界を撮影するだけのもの」だと感じたからです。

ただしくは、50mm単焦点というのは「人間が片目で見た世界」に限りなく近いらしいのですが、結構多くの人が「50mm単焦点こそが大事だ」みたいなことを言っており「なんでなんだろう?」と思いながらも触ったり調べていく中で、ようやく「なるほど。それなら確かに、面白いな」と理解が及んだ(合点がいった)お話しがいくつかありました。

それが以下の2つです。

1:「写真は、自分の見えている世界を共有できるから面白い」
2:「ズームできないレンズは、距離感が身につく」

どちらも実際に触っていて、本当にそう思います。まず、変則的に2から話をすると、単焦点と言うレンズを、しかもマニュアルでピントを合わせようとすると、必然的に「距離感」と言うものへの理解が避けて通れません。自分を中心に半径5mなら5mと言った感じで、円が描かれるようなイメージでしょうか。

とにかく、その制限の範囲で行動していかないと収めたいものが収まらなかったりするのです。

遠くに奇麗な富士山が見えていても近寄ることは出来ず、その場から小さく切り取る他はない。でも、裏を返せば、それこそが1に述べられている「自分の見えている世界」であることが、本当に「嘘偽りのない、真実」だからこそ面白いのです。

人間は、同じ場所にいて同じことをしていても、モノを違うように見ています。それは、そもそもの立ち位置や、身長の高さ、立っている場所や、気になっているポイントなど1つを取っても同一になることは無く、だからこそ「自分の見えている世界」を切り取る写真は「唯一無二」になっていくという感覚は、単焦点の50mmレンズを持ち歩いて初めて「ああ、そういう事だったのか」を改めて理解した領域です。

極端な例をあげれば、たとえば以下の写真は都内某所で信号待ちの時間に撮影した「路傍の生垣」です(だから写真の左上に自動車がボケて見えています)。でも、自分にはこの生垣の草や、そこに付いていた雨の水滴がとても美しく見えました。

「君はそんなところを見ていたのか」と言われそうですが、そういう些細な発見を普段の生活の中で出来ることは、なんとも幸せな事ではないでしょうか。

たとえば、今回の「50mm単焦点は、自分の見えている世界を誰かに見せられる」と解っているとき、理解は拡張されており、純粋に「50mmは練習になるから持っている」と言うシンプルな理解で行動しているときよりも、遥かに高いモチベーションをもって、写真撮影に向かい合えるようになります。

このように、マーケティングにおいても写真においても一事が万事、情報を「教わった形式だけで教科書的に理解する」で終わるのではなく、「なぜなのだろう?」と、本質にもう一歩踏み込んで理解することは、結果的に「成長」を加速させるヒントになることでしょう。

だからこそ、「理解をもう一歩踏み込む」意識を、常日頃から心がけるようにしたいものです。

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