「もう」を「まだ」にする

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私がマーケティングコンサルティングを行っている際、相手に価値を伝え、行動を取ってもらうためのプロセスとして、「3つの”D”を除外しましょう」と言う話をします。それは「でも、だって、どうせ」という3つであり、これらのターゲット層における「言いわけ」が除外されることで、人は行動を起こすようになります。

私は一眼レフと言う趣味を始めて、本コラムを執筆している時点でまだ3週間ほどですが、その成果は顕著に表れているなと我ながら喜んでいます。と、同時に「他人様に何かを教える仕事を行っている身」としては、「自らの行動をもって、自らの言質を証明する」というのは、この上ない信頼の形成であり、そのこと自体は誇らしいと、素直に思います。

一方で、時としてこのような「顕著な成果」が現れるとき、たとえ、それが「目の前で起きていた」としても、どうしても人間は自己の過去の経験則から「でも、だって、どうせ」と言う障壁を作ります。そもそも人間は、変化が嫌いで、その方が楽だと信じているからです。

今回のケースで言えば、たとえば「あなたは、元々センスがあったんだ」とか言えば、いくらでも言えることでしょう。

しかし、本当に「そう」なのでしょうか。

自分を疑え、もっと信じろ

「もう、コップに半分しか水がない」と思うのと、「まだ、コップには半分も水がある」と思うのは、まさに物事に対する「受け止め方の違い」ですが、「彼はもともと才能があったのだ」と言われれば、私は「もともと才能が無いこと」をむしろ自負しており、マーケティングの領域でも、英会話でも、そして今回の写真撮影でも一貫して「凡人である」と断言し続けています。

結局、私がコンサルティングで教えていることも徹底的な「本質」を、誰よりも忠実に遂行しているだけですし、英語も1,000時間と言う時間を費やした結果、必然的に「駐在員レベルのスコア(Versant58点)」を成し遂げたにすぎません。

今回の写真撮影にしても、たかだか趣味にここまで入れ込んで、雨の中でも考えながら撮影をして、作品に情熱を燃やすことが稀有であろうから、成長速度が目に見えているだけで、誰もが一定に真剣に時間を費やせば、(一定の水準までは)登れるものだと、私は思っています。

しかし、そうなるためには、事前のマインドセットが非常に大切であり、「自分なんかにはできない」とか「もう、年齢が過ぎたからそういう感性が無い」とかいう人は、そもそも「やろうと思わない」のを、後から理由付けしているだけであり(アドラー心理学的解釈)「やれるだろう」と思わなければ、スタートラインは永遠に現れないのです。

で、なければ、私が本業でこれだけ多くの(しかもマーケティングの経験すらない)事業者様の売上貢献を果たしたり、自らが「何も知らないけどとにかく写真をやるんだ」という意志の元に、この成果を組み上げている説明がつきません。

それが、自身であれ、他人に対してであれ「もう、無理だ」と思っている人には、一が万事「本来は出来る事でさえ、永遠に無理」なのです。

別にここに書いてあることをすべて踏襲する必要もありません。過去の、あなた自身の経験則が「でも昔は無理だった」と思っている方もいらっしゃることでしょう。ですから、自分にとって必要・有用になりそうなパーツ(エッセンス)を取捨選択し、それを自分なりに踏襲したうえで、消化(昇華)する。自分のペースで良いのです。

なぜなら、写真は本来、誰との競争も行らない、素晴らしい趣味だからです。

いまは、誰もがスマホを持っており、そこにカメラが付いている時代です。

楽しみ方も色々あることも間違いありません。しかし、真剣に学んで、自己表現に使えることは本当に人生を豊かにすると、私は自らの経験を通じて、強く思うようになりました。

どうか、この楽しみを「でも」と踏みとどまるのではなく、「まだ」始めても良いことを、多くの方に伝えられれば幸いです。

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