師と出会う

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私自身、これはいくつかの趣味やビジネスでも共通していることなのですが、ある程度「練度」が重なってくると、一定、自分なりに「そこそこ出来ている感じ」というものを体験する瞬間があります。成果も出て、満足感もあって、評価もされている。こういう状態はものすごく「居心地の良いもの」ですが、そういうタイミングだからこそ「マンネリを感じる前」にやっておきたいことは、「暴れる」と言うことです。

具体的にはそれは、自らを「井の中の蛙かもしれない」という前提で見直し、あえて「現在、コンフォートゾーンの外だと考えている、無駄かもしれないこと」に本気で取り組んでみることです。たとえば、私はAIとの会話の中で「今後、何をどう伸ばすべきか?」というやりとりを行いながら、「クロード・モネの光の加減を学んでみては?」と、1年ぶりに美術館に足を運びましたし、ちょうど仕事の兼ね合いで超一流のカメラマンの方とお仕事をする機会があり、その中で、恥をかくことも厭わずに「私、写真まじでやりたいんです!」みたいに特攻したりしていました。

そうしたら、やっぱりすごく良いことがある。美術館も、プロのとの出会いも期待しないで行ってみるけど、これがやっぱり「今だから(感性が育ったから?)感じ取れること」というのが増えていて、これは何でもそうだと思うのですが「一定練度を積んだから、わかること」ってあるんですよね。

そういうものを写真なら作品を通じて「感じとる」ことで、自分の中で「咀嚼」する瞬間がある。私の場合は、その写真を撮影した方に、いろいろ作品を見せていただいて、解説してもらう機会があったので(本当に幸運なことです)、そこに耳を傾けていたのですが、不意にその方から「作品に、人を入れてみては?」と言われ、実はこれまで本業が「マーケティングのコンサルタント」という、最も人の感情に踏み込む仕事をしているから、写真からは意図的に「人を消していた」のですが、自分なりに、素直に組み込んでみて、感銘を受けたような昨品作りを狙ってみると、これが本当に驚くほど「あ、違う」と手応えを感じました。

何が一番おどいたのかって、この作品に自分なりに「出発の刻」というタイトル案をなんとなく持ちながら、AIに評価とタイトル案を聞いたら、まさにドンピシャで「出発の刻」と、提案されたこと。

それは、自分の狙う主題と、伝えたいことが「確かに伝わった瞬間」で、間違いなく、新たな作風の扉を開いたような感覚です。

これをしっかり我がものにすべく、今後も研鑽を続けますが、取り急ぎ「方向性が見えてきた」ことだけでも物凄い進歩ですし、アドバイスを受けて「たった1日」で感触が変わる(成長を感じる)というのは本当に興奮します。しっかり確実に積み上げ、然るべきタイミングで評価をもらい、その上で吸収できるものを昇華していく。

それこそが「2年目だからできる学び」なのだと自覚し、研鑽を続けたいと思います。

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