楽しさの正体を理解する

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趣味と言うのは本来、それを行う事で心が満ち足りていく事がとても重要だと思います。一眼レフと言うカメラをやっていて自分で気が付いたことがありまして、それが(自分の場合は)「むやみに人間を撮ろうとしていないこと」です。

「何でなのかなあ」と最初は考えていたのですが、良く考えたら当たり前で、自分は常日頃から「こういう事をすると、相手はこう考えるであろう」と言うような、人間関係の思考プロセスの中にズーっとその身を置いている訳です。

加えて、私のマーケティングコンサルティングというのは「その企業に本来存在する売れる理由を可視化、言語化し、それを受注できるメッセージに変容させ、その組織で何度も再現できる仕組みを構築する……」と言うものなので基本的に「お客様主導」で動いてもいます。

ですから、「私の考えた最強の戦略をやってください」と、完全分業の司令塔型マーケターみたいな事は一切無くて、いつも私は「出来るようになる素養がある企業様だからこそ、皆様が主役で、私はそれをカタチにするサポートをする」と言う事をしている都合上、それは基本的に「相手マターで動いている」と言うことになります。日本の組織構造と言うのはその方が良く連携しますし、その企業にあった最適解を出すという私の職業柄そうなることは明白だと言う事です。

で、これって何を意味するのか?と言うと「実は、自由度が低い」と言う事なんですね。

相手がいて、その相手の最適解を出すという時に、マーケティング事業と言うのは、私の受注プロセス戦略では、基本的に「アシスト役」に徹します。

その結果、成果は出せるのビジネス的には何の問題もないのですが、私が妙にカメラにハマった理由の1つは間違いなく「写真の中では、自由に、思いのままに作品が創れるから」ということにあったのだろうなと思います。

「仕事」はやっぱり大変だ

とはいえ、私は今まで、自分の仕事に対して「しんどい」と思ったことはなく、基本的には「楽しい。アドレナリンが出る」みたいな感じだったのですが、それでも仕事が1日3つ、4つと詰まっていた日は、確かに終わった後に何とも言えない疲労感にさいなまれていたものでした。

その時は単純に「頭をよく使ったからかな」と考えていたのですが、今思い返せば、常に「相手の呼吸に併せてラリーに応じていたから」からなのだろうと思います。

そう考えると「プロのカメラマン」と言う職業は大変なのだろうと思います。被写体の良さを自分なりに引き出すという本質はアリこそすれ、クライアントだったり、メイク、衣装さん、スポンサー、そして被写体本人の意向など、様々なビジネス的な要件を満たしたものを「納品」する訳でして、「私が思うベストショットはこれです!」が必ずしも通る訳ではないのですから(いわゆる巨匠とかなら話は別なのでしょうが)。

「趣味だから楽しい」ことを知る

趣味性をもって、趣味的に取り組める良さというのは、そこの「人間関係に起因するボーダーライン」が存在しないことにあって、それを理解すると、自分はファインダーを通して被写体を見ているときは「自由」に作品を練れているのだろうなと思います。

つまり、自分は(実力はさておき)「写真家(芸術家)」になれることが楽しいのだろうなと思います。

むろん、表現の形は歌、踊り、創作活動など多様にある訳ですから、写真に限ったことでは無いのですが、このように「自分が満たされる本質(理由)」が理解できると、「目指すべき方向性のビジョン」もまた、見えてくるものです。

また、このようなリフレッシュがビジネスにおいても有効に機能することは間違いが無いでしょう。アイデアをひねり出す、新たな視点を模索する。伝わる言い方を考える……このような創作活動の裏側に、まったく別の「創作活動」が趣味として入ることは、まるで両輪のように相互に効果的に作用し、自らの知識や知的労働を助けることになるはずです。

で、あればこそ、楽しさの本質をいつまでも忘れずに、真剣に、しかしながら自由に楽しんでいきたいものです。

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