マーケティングコンサルタントをやっていると、たまにいただくお問い合わせの中に「そもそも、本質的に間違いが起こっている」という類のご相談をいただく事があります。たとえば、もっとも多いのは「現在頑張っている集客施策をさらに強化したい」と言う類のもので、それはSNSでもSEO対策でも同様にあります。
私はそういう施策の「すべてについて」を否定する訳ではありませんが、「教科書にそれが掲載されていたから」と言う理由でそれを何の戦略も無しに目の前のKPI(この場合は集客効率)だけを見て力を入れてしまう事業主というのは案外多いものです。よく受ける、よく見られる、よく反応されるコンテンツを強化していくことで良い未来を手にすることができる……。たとえばそんな未来を「信じて疑わない」企業様や人は多いものですが、冷静に、根本的にたとえばBtoB事業なら「その施策は売上に寄与しているのか?」という問いをぶつけられた時、たとえば「施策の前後比で売り上げは全く向上していない」となった場合、やっぱりそれは「意味がないもの」だと考えるのが妥当であり、軌道修正が迫られます。
これは日常生活にしてもそうです。「このレンズで色々撮影できそうだ」と、宣伝文句を鵜呑みにして購入したレンズやカメラを「思ったほど使わない」なんてことは、昔の私の経験からもよくあります。いわゆる「積みゲー」みたいなものもそうですが、「いつか手をつけよう」と思って、「買ったまま箪笥の肥やしになっている」CDやゲーム、「いつか着るかも」と思ってクローゼットに収納され続けている被服などは、すべて同様の思想でもたらされたものだと考えるべきです。
重要なのはこれらを「これまで積み上げてきたもの(サンクコスト的思想)だからと、「もったいない」と思っては「結局、何も変えることができない」ということです。特に企業におけるSEO対策だけを意識して作ったコンテンツマーケティングや、バズることだけを意識して運用方針を貫いてきたSNSなどは、「血の総入れ替え」とも言える改革を実行する可能性があり、これに対する拒否反応は当然大きなものとなります。
また、仮にその段階を「いや、確かにこれはやるべきだ」と思っても、次についつい考えてしまうことが人にはあるのです。それが、「でも、そうやって血の入れ替えを行ったとして、これまで来訪してくれていた人が離れてしまうのはどうしよう」という思い。
これも冷静に考えれば「本質に関係ないところの集客を一生懸命やっていたことが何の意味があるのだ」という本質に気づければ、いわゆる「正しい判断」はできるはずなのですが、我々はこれまでやってきたことを失うことが怖くて、ついつい及び腰になりがちなのです。
しかし、「手のひらは何かを手放さなければ、次の何かは掴めない」と言うように、変化というのは大抵、現状の何かを失うこととセットになってもたらされるものです。痛みを伴わないで、メリットだけを享受することは基本的には出来ない、と理解できていれば、その行動は「投資的活動」として前向きに捉えることができることでしょう。
私とて、たとえば趣味の領域でも、この写真撮影そのものや、被写体撮影のために出かけた先で「これは間違っているかもなあ」と思う瞬間はあるものです(つまり、すべて順風満帆で失敗がないということないということです)。しかし、そんな時に、その事実を真正面から受け止め、次の施策への「糧」とし、行動していくことができれば、その軌道修正は「長期的に」大きな価値をもたらすことでしょう。
些細なことからでも、「変化に対する」恐怖を恐れず、しっかり変化・修正していく意思を忘れなようにしたいものです。