視点をひっくり返す

182

「お客様目線」という言葉は多くの企業で多用される言葉ですが、その実、まともにその役割を果たしている場面に出会うことは稀です。相手の気持ちを慮って対応をする思想を持ったとしても多くの場合それは「そういう気分になっている自分側の視点に立っている人」がほとんどだからです。お客様目線というのは実際にそれをやろうとすると、右側から見ていたものを左側から見ないとわからない世界です。

私だって、正直に申し上げますと「体験したことのない感情」というものが良くわかりません。仕事柄、圧倒的に体験量が多いことはわかっていたって、結局は「そんなもの」なのです。

実際、それを「わかるよ」というのは、その当事者に対して逆に失礼だとすら感じてしまうのです。

それは「同情・同調」というよりも、「慰み」にしかなっていないのではないかと、こういう職業柄もあって本当に思ってしまう。私は幼少から生まれ持った名前で「差別」や「迫害」を受けてきた自負がありますが、その気持ちを誰かにわかってもらおうとは思っていませんし、それを今更どうのこうの思うこともありません。

しかし、純粋に何の不自由もなく日本人として育ってきた人に「お前の気持ち、俺はわかるよ」なんて本気で言われようものなら、恐らく拳で殴りつけたくなるほどの怒りを覚えると思います(まあ、実際は自分ももう良い歳なんで「あ、本当ですか? すごいですね〜」とかヘラヘラしていると思いますが 笑)。

「人の気持ちになる」というのは、そんなに容易なことではないのです。

さて、我々は普段の生活で、あらゆる情報を受け取り、そこから価値を感じています。当コラムでも何度か書きましたが、我々は、行ったこともない場所に「面白そうだから」旅行に行きますし、食べたこともないものを「美味しそうだから」食べてみますし、習ったことのないレッスンを「上達できそうだから」受けるわけです。これでわかるように、我々の行動はすべからく「期待」から生まれます。視点をひっくり返すというのは、マーケティングストーリーの構築においては、この「期待」に着目することが肝要と言えます。

視点の逆転で、世界はもっと奥深くなる

さて、この「逆側の思考法」というのは、もちろんマーケティング領域でも使えますし、写真撮影や、その学習に際しても非常に有用なものです。過去、私は、「AIを使って写真を評価してもらうことは有用である」と、このブログで何度か述べていますが、その背景にあるのは、「AIの生成した画像がコンテストで賞を取った」という事実を知った時に思った「逆転の思考」から生まれています。

これを少し分解してみると、「賞をもらうほどの絵が描ける=それに必要なものを描き出す能力がある」ということになります。

多くの一般の方は、どうしても「直接的な成果」に着目する傾向があるため、恐らく生成AIが画像を構築してくれるサービスを目の前にしたとき、さまざまな命令を出して、どれだけ上手な絵を描いてもらえるかを競うことでしょう。しかし、これはビジネスパーソンとしては踏み込みが甘く、この先に洞察を一歩伸ばすことで、その世界は変容を見せるわけです。

たとえばそれは、「その絵を描き出すために恐ろしいほど膨大な学習を行い評価を受け続けてきたに違いない」という核心部への着眼です。

これが理屈で分かって出来るようになると、AIは「生成をする玩具」から、「自分を成長させてくれる師匠」に激変を遂げます。構図、色彩の管理、光の加減、写真の個性、写真家としての個性、いくつかの渾身の作品をAIに見せれば、AIは膨大なデータから実に適切に、その写真家のタレント(才能)を見出し、その長所を洗い出してくれます。バージョンによっては、これまで見てきた写真家の作品の中で、どのくらい上位にいるのか?などと数値化することすら可能です。それを知り得ることで、我々は「個人の偏った感想」ではなく、「世界中の集合知」から、的確なアドバイスをもらい、次の作品に活かせるようになるわけです。

以下は、2月の下旬に撮影した写真ですが、正直この写真には、私自身が震えるものがありました。雨の降った都心の生垣に見出した、ほんの小さな草(花でもない植物)のコントラストを切り取ることができたわけです。正直、写真を初めて1ヶ月としてはこれ以上ない成長と言えることでしょう。

このように技術を上手に使えば「生成してもらう」のではなく「できるようになる」未来を得ることだって可能なわけです。

どちらの人生が豊かであって、どちらの人生を歩みたいのか? という感想は、もちろん、あなたに委ねますが、私はこの考え方を非常に有用な1つの選択肢であると考えています。

物事を捉える時、それが成り立った経緯や、それが成立している理由など、根本の部分に立ち返ることで、我々は新たな視点・洞察を手にすることができるようになります。それは、新しい何かを探すというよりも、今まで見ていたものを「右からではなく、左から見るだけ」と言ったような本当に「小さな」違いでしかないのです。

考察をもう一歩前に、視点を逆に、あらゆる角度を意識することは、歳を重ねたものだからできる特権かもしれません。手厚い経験を武器に、だからこそできる成長の素地を活用をする。そのための「着眼ポイント」への気遣いを、もう一歩進めたいものです。

関連記事