体感を自覚する

21

このサイトをお会いした方にお話しする際に、あわせて「写真の魅力」と言うものを語ることが増えてきたのですが、その際に現在よくしている話は「50mm単焦点の世界」というお話です。

「人間の片目で見える世界」に近しいと言われるこのレンズは、まさに「一眼レフ=片目の世界」と表現するにふさわしい距離であり、それがイコール「その人の見ている世界を体現している」となると、少し「写真撮影」という趣味に対して、ロマンティックな様子が出てくることでしょう。

そういったことを自覚しながら、あらゆる場所でカメラを構えたり、あるいは構えなくとも周囲の景色を見ていると、自分の中でカメラを手に持たなくてもまるでファインダーを介してモノを見ているかのように「モノが見える瞬間」と言うものが出てくるようになりました。

これはまさに人間が「体得をしている」時にだけ出てくる習慣的な思考のようなものであり、理屈だけでは到底到達することのできないであろう世界観だと思います。ここから本格的に「写真を撮る」という事の本質に迫れるようになるのだと思います。

ビジネスでもそれは同じ

私はマーケティングのコンサルティングを行う際に「座学での勉強は実践に対しての有効性は低い」という事を常々申しており、だからこそ「最先端の知識やトレンドをとにかく勉強して精通していると自認する人材」が、どんなに輝かしい経歴を引っ提げていようとも、その実務上でマーケティングを遂行することで事業を成果に結びつけられるか?という部分に対しては「まあ、成果を見ないと分からないよね」とフラットに見るようにしています。

なぜなら、その理由こそまさに「どんな領域でも場数、経験を積んできた人間だけが持っている感覚」と言うものがあると知っているからです。

実際、私のコンサルティングでは、クライアントのお客様に、マーケティングを実務を通じて早期に体感してもらい、今回で言えば「ファインダーを介してモノを見るような感覚をカメラを持たずにも再現することができる」と言ったような感覚を持ってもらうことを重視します。そして、それらがお客様の実務の中で研鑽されることで、本当の意味で「マーケティングに関する理解が深まる」事を、経験則上知っているからです。

話の流れ的に前後しましたが、私が元々行っていたのは「マーケティング側」ですから、私がカメラを毎日持ち歩いて、どうにかこうにかでも写真を撮ろうと日数を重ねている理由は「その経験から来ている」という事です。つまり、今回の「カメラを持っていなくても景色がそのように見える」事に驚きはなく、それはむしろ「まあ、そうなるだろうな」という仮説通りにすぎません。

結局、手元に何冊もの「上手な写真の取り方」という書籍を積み上げたり、あるいは「学習動画」と言うものを見たとしても、それらが真の意味で「本当の意味で上達の血肉なるのか」といえば、同じ時間を費やすのであれば、少しでも「現場に赴くこと」の方が重要だという事でしょう。

以下の写真は、押上に立ち寄った際、スカイツリーの脇を抜けながら「あ、この葉と雲の具合は、スカイツリーを囲んで額縁みたいになりそうだ。雲の配置も良いな」と、素通しの「眼」で思い、そのあとおもむろにカメラを取り出しシャッターを切った1枚ですが、やはりこういう「これかも」という感覚を持つことで、撮影までの時間も大幅に短縮されますし、実際の取れ高を見てみても「ホラ、思った通りだ」となっていく事が増えてきました。

これらは、まさに「体感を通じて学んだ経験値」であり、実働の重要性を再認識させるものです。座学に終わらせない、体感の重要性を再認識するとともに、改めてこういった経験を通じて「体感~体得」の価値をお伝えできれば幸いです。

関連記事