億劫でも踏み出す

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写真を撮影するようになってから、「仕事の時には出来ているけど、プライベートではあまりしていなかったこと」として「あたらしい事への踏み出し」をするようになりました。具体的には「旅をすること」でしょうか。

出張のついで、ちょっとした休日の隙間時間。とにかく、外に出る機会がものすごく増えたと思います。

そもそも、私は、ビジネス(マーケティングコンサルティング)において「結果が分からないが一定、手間のかかりそうなもの」が目の間に存在しているとき、基本的には「やってみないと分からない」からこそ自社の取り組みであれ、お客様の施策であれ、勝算があり得るときは前に踏み出すことを推奨しています。

そもそも「案ずるより産むがやすし」と、それこそ仕事ではお客様にも良く言っているのですが、物事と言うのはたいてい「結構悪い予測をしておくと、実際はそれほどひどくなることは無い」。

そして、そこに結果があればこそ、次からは「結果を前提とした判断」が出来るようになるためです。

私の人生観の中では「やっておけばよかった、と言う後悔は数あれど、やらなければよかったという事は(よっぽど気の迷いの行動でもない限り)ほとんどない」と思っているのですが、まあ大抵この考えが外れるケースには、少なくとも人生45年生きている中では、あまり出会っていません。

一方、そんな仕事観を持っているにも拘わらず、私はプライベートでは恐ろしいほどの出不精で、万事「うう、面倒くさい」と思って行動を起こさないことが多かったのです。

おそらくその理由は、どうしてもこれまでだと「どうせプライベートの事だから生産性なんか関係ない」と言うことで、消極的な選択を優先していたのだと思います。

しかし、カメラを持って、このブログの運営という「責務」を得ながら、「写真撮影を通じて人生を楽しむ」事を(お恥ずかしながら)少しずつ理解していく中で、「ああ、どうせなら一度きりの人生。色々やるほうが人生は豊かになるはずだよな」と強く思うようになってきました。

たとえば、お客様の施設などに出張することが時折あるのですが、これまではその間については「純粋に往復する」のみでした。

特にそこの郷土に触れるでもなく(せいぜいご飯のみ)、景色に目を配るでもなく、スマートフォンと睨めっこだけして移動していく。それが「良いのか悪いのか」は個人の嗜好にゆだねられることは否定されるものでは無いと思いますが、「可能性を逸している」と言う意味では、少し損だったのかもしれません。

カメラと言うのは「何かを撮らないと」と意識するだけで、視点を「外」に広げますから、様々な景色が目に飛び込んでくるようになる。

そうして物事を見て、現地のリアルに触れてみると、世界とは実に、自分の知らない事ばかりなのです。

美しい景色を前に、そこの人々の生活と文化を目の当たりにし、時に交流をしながら見聞を広める。興味本位で色々見ているとたまに「カメラマンさんなんですか?」と聞かれるようになりましたが「いえ、ただの趣味みたいなものですよ」と、流しながらその人たちの「リアル」に触れることで、マーケティングにも有用となる「自分の知らない世界」が広がることを感じ始めています。

子供のような好奇心を持ち、多くのものに触れ、感受性を刺激する。リアルな話を聞いて見聞を広め、それを仕事に活かす。

そういった循環を行う意味で「旅」と言うものの捉え方が少しずつ変わってきた昨今。そういう思考も含めて、大切に感じるとともに、読者の皆様にも少しでもその魅力をお伝えできればと思います。

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