「伝わる」を重視する

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今月は地方出張が多めで、疲労も貯まりましたが様々な「名所」を回ることが出来ました。日本三景の松島(宮城)や、京都など、「写真撮影」の題材としては、この上ない場所に行けたことをありがたく思います。

ところで、そういう場所で撮影をしながら東京に戻ってくると、やはり東京と、そういう観光名所では「撮影の勝手が違うものだな」とつくづく思います。

たとえば観光地は「名所」というくらいですから「他人様に見せるために頑張って」います。

観光名所の数々は、背景まで全部写真に入れてもやはり「絵」になる。構図だけ考えて「よいしょ」と写真を撮ると、結構切り取りたい感じになるから、そういう意味では(一定のレベル感までなら)良い写真を撮る難易度は高くないと思います。

逆に、そういう観点で「東京」という街を見てみると、実に驚くほどに様々な要素が「パッチワーク」のように構成されていて、古い建物の横に真新しいビルがあったり、きれいな花が咲いている背景にドーンと自販機があったり、良くも悪くも「まあ、良くこれだけ色々な情報量が入ってくるものだ」と思うことしきりです。

言ってしまえばそれは、マーケティングプロモーション領域で言う「デザイン」みたいなもので、東京の目に飛び込んでくるそれは「スーパーのチラシ」のように、もの凄い様々な構成要素が雑然と置かれていて「ドン」と情報が入ってくる。それはそれで、ありと言えばありなのですが、誰かが街のディレクション(管理)をしている訳では無いため、どうしても「品格が無い」みたいなことになったり、一定「街」でそのトーンを作ろうとしても、東京は本当に多様な人が行きかいますから、調和という意味では難しい。

だから、東京では店は区切ってディスプレイ(ショーウィンドウ)の中で「空間」を演出するのですが、それらは確かに美しい(特に銀座なんかは趣向を凝らしていて凄いすらと思う)一方で、どうしても人工的になる。「ほら、こういうのが好きなんでしょう?」という人工物な感じ(作った映えスポット感)が透けて見える。だから、個人的には撮影したいという気にはなりにくかったりします。

そこで考えるべき「取捨選択」

これって要するに「情報の精査」という話だと思うのですが、マーケティング領域だと「自社の伝えるべき情報を全部盛り込んだWebサイト」とかこういう状態で「なんか色々載っているんだけど、結局何も頭に入ってこない」みたいな事ってあると思うのですが、同様に写真に収めようとしても「何を主題に置いている写真なんだか全然分からない」みたいなことになるんですよね。

じゃあ、どうするの? というと、たとえばピントを一点に当てて全面や背景をボカすことで「際立たせたいものを際立たせる」というシンプルな手法を撮るのですが、これで写真が一定「意味を成す」と言うことになっていくと思います。

以下なんかも、雑然と並ぶビル群の一角だけをポンと「切り抜き」ましたが、東京で写真を撮るって言うのは、こういう「情報の取捨選択」を自らが考えながら行う所に「面白さ」があるんだろうなあと強く思いました。

情報の取捨選択は「シンプルに伝える」という部分では本当に重要な要素で、「伝えたいことが100」あったとしても、「何を残すのか?」で「伝わり方」は大きく変わります。「自分が伝えたいこと」を伝えるのではなく、「相手に伝わること」を自分の情報から厳選していく。

さまざまな絶景や、東京のゴチャゴチャを前に対比をしながら、そんなことを学ばせて頂きました。

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