「価値」で判断する

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あらゆるものは、それに直に触れることで初めて「価値」を認識できる。どんなに知識を得ても、結局は「わかったつもりから」は出られない。これこそ、私が人生でずっと思っている価値観です。

そんなことは無いだろう。と、思う方もいらっしゃるかも知れませんが、たとえば、食べたことのないレストランの話をされても「美味しいらしいよ」と言う情報に止まってしまいます。ましてや、それを「他人に勧める」となれば、「あのレストラン、俺は行ったことないんだけど美味しいらしいんだよね。今度行ってみたら?」と言う提言が、聞き手にとって非常に無責任に感じ、価値が薄いものに思えるだろうことは理解頂けることでしょう。

マーケティングなら製品の話や、サービスの話。プライベートなら、生い立ちの話や地元の話、昨今でも、自ら体験した苦労話など。それらを、体験したこともない、赤の他人に「本当に分かってもらう」のは至難の業だと言う事です。

「こんなにバカ高いのは何故なのだ」

たとえば、今回、私が手にしたLeicaのカメラ(M11)はレンズと併せれば200万円もしますから、カメラの値段としては(一見して)異常です。

私の生業である「コンサルティング」も、同じような側面があり、一般的な金額感から考えたら「え、フリーランスとか、安いところでも良くない?」みたいに考える人は、残念なことに案外多いものです。

こういう方々に共通しているのは、その製品、サービスについて「価値」ではなく「価格」だけを見ていると言う事です。

たとえば、カバンならメンズだと3万円だと言われれば高い気がする。

でも、それがもしも王室御用達で、年間3本しか製造されていないものだと知(理解でき)れば、「なんて安いのだ」となる訳です。

マーケティングとは基本的に、このような製品・サービスに存在する「価値」を正しく提供することで、その価値を「良いものなのだろう」と思っていただける方に結びつく活動なのですが、そのうえで、基本的に最終的な判断をするのは「受益者側(選び手の方)」なので、ここら辺はある種、その方・企業の「価値観」に依存するのは仕方ありません。

ただ、私自身が「価値をお届けして、価値で判断をする」と言う仕事をしている以上、私にとって「Leicaのカメラを使う」と言う事は、ある種「必然の選択肢」だったのだろうと思います。「価値を知らずして、良さを語れない」というのは冒頭で申し上げた通りですし、「高そうだから、気になるけど触らない」と言ったが最後、それは、私にとっては究極の自己否定にしかならないからです。

(まあ、そんなことを考えなくても、そもそもこのカメラが手にしたその日から「やばい。これは全然違う」と、どこに行っても持ち出してしまう感じなので、すでに「価格に見合った価値がある」事は確信しているのですが……)。

このように「価値」とは、いかに知識で調べたり、見よう見まねをしてみたり、似ている「ようなもの」を触ったところで、結局本物からは「遠く及ばない」という所に帰結し、ひどいときは「安物買いの銭失い」となり、ただ回り道をしてしまう事があります。

それは、「本物はなぜ、本物なのか」を理解することにもつながります。

圧倒的な成果を出している。誰もが賞賛している。明らかに毛色が違う。そういうものには、唯一無二が唯一無二である理由が確かに存在するのです。それを肌で感じるためには「体験」をしていく他ありません。これは、自らの人生経験としても有用です。

背伸びをして、やりたいと思ったことをやってみる。美味しい料理を食べてみる、最高の体験をしてみる。

その結果、「思ったほどではない」と、あなたが感じたとして、それはそれで最高の経験なのです。

なぜなら、貴方にとって、今後将来永遠に「これは私には合わないから不要」と言う判断を、自らの経験から自信を持って判断することが出来るようになるからです。そうなることで、あなたの今後の人生において、「その事に対して考えることにリソースを使う事が一切なくなる」と言うのは実はもの凄いアドバンテージです。

私とて「すべての行動で良い思いをしている」訳ではなく、別に料理は一定の金額以上だと「うーん」とか思ってしまいますし、旅行もあんまり目的を持てません。お酒は付き合い程度で十分ですし、要は「大人のたしなみ」の方向にまったく向いていません。

でもそれは、ひとしきり経験したから言えることであって「私の価値基準」だと、それで良いのです。そうやって1つ1つ消し込んでいけば、今後50代になっても、60代になっても、そのあたりの判断は間違えないことでしょう。

「価格ではなく、価値で判断する」そういう姿勢を持ち、本物に触れる機会を少しでも多く持ちたいものです。

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