何ごとかを始めたり、新たに取り組もうとしたとき、基本的には我々にも「常識」や「基本的に思っていること」と言うものが存在するため、実は最初かある程度「行動の制限を行う傾向がある」ことをご存じでしょうか。
たとえば、私がビジネスにしているマーケティングの領域なら「基本的なマーケティング理論は、まず勉強しないビジネスレベルにならない」とか、「高度なマーケティングを勉強するのがそもそも重要」とか、「専門的にやるのならマーケティングの資格は取るべき」などは「学ぶというのはそういう事なのだろう」という常識をお持ちの方は多いと思います。
また、一眼レフを初めた際、「そういう事があるのだよなあ」と思っていた私でさえ、この新たな領域ではそういう事がありました。
たとえば「写真は撮ったままで出すほうが偉い」「レタッチなど、加工をするのはいかがなものか」などはどうでしょうか。
これら、私が並べたことについて「そう…なんじゃないの?」と思った方がいらっしゃったら、それはチャンスです。「目的に対して誠実になると、これらの一般的な「枠組み」を取り外すことが出来るようになるからです。
そもそも、「目的」は何なのか。
たとえば、私のところに相談に来られるお客様の内容を、すべて整理して突き詰めていくと、要するに「会社の売り上げに寄与するマーケティングを実現したい」と言うものに一本化されます。相談の入り口はさまざまで、「マーケティング施策が上手くいかない、頭打ちだ」「組織の立ち上げに失敗した」「ツールを導入したがこれからどうしていいか分からない」「人員に経験者がおらず、そもそも何をすべきなのかが分からない」など、多様ですが、それらすべては結局最終的には、冒頭で申し上げた「会社の売り上げに寄与するマーケティングを実現したい」に集約されます。
では、写真についてはどうでしょうか。
私は先日、プロのカメラマンの方に「レタッチを教わる」と言う集中講義に参加してきたのですが、そこで学んだ事と同じくらい印象的で、共感したのは、彼の述べていた「レタッチを使う事について」という基本思想の部分でした。抜粋すると以下のような意訳となります。
「そもそも、我々の仕事は、お客様が満足したり、見たものを感動させたりするために行っている。日本人の多くは、春の桜をピンク色だと思っているし、空は青いものであるべきだと思っている。しかし、実際に写真を撮ればわかるが、サクラは写真の中では「白く」写るし、空もそこまで青く抜けることは無い。では、それを「撮ったままだから、これが正しいんです」と出すことは、果たして正しいのか?」
大切なのは、自分が、何を最も重視すべきなのかを決めること
お話を伺う中で、「ああ、この人はプロだな」と確信・共感するところしきりだったのですが、自分も実はマーケティングコンサルティングの領域では、「別にマーケターなんか不要だし、なんならマーケティングの勉強もガッツリやらなくて良い」と言い切るのは、別にマーケティング業界を敵に回したいのではなく、企業の業績向上という「目的」にフォーカスすればこそです。
要は、この場合、レタッチ技術もマーケティングの勉強(マーケターとしての活躍)も、当事者側の「プライド(自尊心)」の問題であり、それをちゃんと脱却して「変容を受け入れられるのか?」と言う事が重要です。多くの場合、そういう固まった思想を持つ人間は、「いや、でも私はこうだから」と、そもそもの行動を行う事を避ける傾向にあります。
実際問題、これだけマーケティング領域でその問題意識を感じている、この私自身でさえ「写真って、撮影したままで出すのが一番良いんじゃないのかなあ?」という「思い込み」を持っていたわけです。むろん、そういう意見もあってしかるべきですし、その意見自体は尊重されるものです(これは、マーケティングしかりです)。
しかし、「目的にフォーカスする=自分にとって思惑通りの表現を伝わるように伝えること」だけを考えてみたとき、「何が、最も重視すべきことなのか」の基軸は大きく変わります。なにごともやりすぎてはいけないものの、しっかりした信念を持ち取り組むのであれば、その可能性には、食わず嫌いをせずに「触れてみるべき」です。そうすることで、今回私がレタッチに感じたような、プロの信念だったり、「なぜ、そうなのか?」という逆側の核心に触れることが出来るからです。結論を出すのは、そのあとでも遅くないはずです。
と、長々と書いてまいりましたが、結局こういった事と言うのはビジネスにせよ、趣味にせよ「自分の中で何を大切にするのか?」という「決め」の話に集約されるのだと思います。ただし、くれぐれも片側による前に「どちらの意見も聞いたけど、自分はこうだから、こっちにする」と、双方の理屈をフラットに理解したうえで、判断を下すようにしたいものです。