まず、行動する

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このサイトを作る以前、一眼レフでの写真撮影という趣味を得たことをクライアント企業様でお話しした際に、たまたまその企業には「写真部」なるものがあった……という偶然がありました。そのうえで、担当の方がその写真部の方だったので、撮影について盛り上がったのですが、話をしていてものすごく印象的だったのが、「とても各自が個性的である」と言う事でした。

具体的にそれを書いてみると、つまり「1枚の写真」が目の前にあったとして、それを撮影するためのアプローチが各々全然違うものになっている……と言う事です。私は、被写体を観察して、構図を考えたり…と理屈から入るのですが、お話ししていた女性のその方は「とにかく、カメラを持って歩いているときに『これはいいな』と思えるかどうかなんです。まず、フィーリングが無いとまったくアイデアも出てこないので、カメラを持って1枚も撮影しないなんてこともザラなんです」とおっしゃっており、「そんなアプローチがあるのか!」と驚いたほどです。

また、その方に聞いたのですが、別のデザインが得意な男性は、写真はそこそこなのですが「あ、でも、レタッチでどうにでもなるんで」と、撮影後の加工がものすごく上手いため、そこから「作品」に仕上げてしまうそうです。おそらくその方には、撮影したままの写真では分からない世界(加工後のイメージ)が見えているのかもなあ……と話を聞いていて思いました。

重要なのは「正解」は唯一では無いと言うこと

そのあと直ぐに盛り上がったのは「我々が仮に3人で出かけたら、きっと三者三様の写真が取れて驚くのだろうね」という事で、これに異論の余地はないだろうなと確信しました。そして、そのすべてに正解がなく、おそらくお互いの写真を見て、お互いが感想を持ったり学習する要素を見出していくのだろうと、だからこそ「それは面白い取り組みになりそうだ」と強く感じたことを覚えています。

実は、私はマーケティング支援の中で良く言うのが「言動などたいしたものではなくて、行動こそ雄弁である」という言葉です。

たとえば、マーケティング業界で有名な話としては「黒い皿」という話でしょうか。あるメーカーがテーブル一面に、新製品の候補になっている白い皿と黒い皿、あるいは四角や三角の皿を並べ、主婦にグループインタビューをしたという話です。「どの皿が好きか?」と聞いてみると「黒い四角い皿」が人気だった。なるほど!と思い、主催者が「では、お好きなものを1つだけ持って帰って良いですよ」と言うと、主婦たちは、なんと全員が「白い丸皿」を選んだ。

主催者は驚き「なぜですか!?」と聞いたところ、主婦たちは「だって、レストランで出てくるならいざ知らず、家で使っても他のお皿とのバランスが取れない」という衝撃の意見が飛び出した……というようなオチだっと記憶しています。

重要なのはこのプロセスにおいて、主婦たちはインタビューで「ウソをついたつもり」は1ミリも無いと言う事です。

本気で黒い皿が良いと思っていたのです。でも、実際に行動に移してみると違っていた。そうなれば、市場理解としての「正」は、「白い丸皿を選んだこと」になるはずで、この時点で調査の意味がなくなるという事実が分かると思います。

身近でも出来る自己診断

ちなみに、この「行動を通じた自己理解」について、自分で調べる簡単な方法があります。私が考案した「ドラクエ診断」という冗談みたいなものなのですが、話は簡単で「ドラクエを一生懸命クリアする」という単純な方法です。

どういうことか? 話は簡単で、たとえば私は、ドラクエをすると必ず次のボスに進む前に慎重にレベル上げをします。経験値が大量にもらえるボーナスのような敵(はぐれメタル)などが出るゾーンなどを見つけたら、冒険そっちのけでそこで延々とレベルを上げ、万全な状態でボスに進み、ストーリーなどもそこそこに一気にボスまでを蹂躙していく、そんなプレイスタイルです。

私のスタイルに共感するのもしないのも、皆様の自由なのですが、要は私は「早くボスにたどり着く事」とか「攻略を急ぐこと」にあまり重点を置いておらず、一方で「ダンジョンの宝箱を全部開けないと気が済まない」とか「すべての行き止まりを確認しないとモヤモヤする」と言ったような繊細さはあまり持ち合わせいなかったりします。

つまり、このような「無意識の行動」こそが、その人間の価値観を投影しており「ドラクエのプレイスタイル」をお互いが語ると、やはりこれは「全然違う」みたいなことが起こりえるのです。

ちなみに、そんな私の経営スタイルは、やはりガチガチで「商標を抑えるまでは書籍の情報を開示しない」とか、「実績が整うまではメディアの露出を最低限に抑える」とか、企業ブランディングにも相当気を使っていたので、ここら辺は良い自己理解だったと思います。

なお、余談となりますが、この「はぐれメタルをもの凄く倒すまで冒険を進めない」という発言に非常に共感してくれたコンサルタント仲間の方がいらっしゃり「私もそうなんですよ!」と、仰っていた方が、その後確認のためにドラクエをやってみたら「レベルが足りず、死にまくって何度も冒険をやり直す」というドツボにはまり、その事実よりも「俺ってこういう人間だったのか!?」と言う事(自己再発見)の方に相当驚いたそうです(笑)

カメラを持つことで、自分が見えてくる

さて、話を戻して、カメラも結局同じ要素があります。もっと面白いのは、実際に撮影された「写真」が、「モノの捉え方」を如実に表すと言う事です。被写体のサイズ、構図、光の加減、色彩表現などは、その人の「個性そのもの」と言っても良い事でしょう。そういったものを自分で捉えるだけではなく、誰かと一緒にどこかに出かけて、それをお互いに見せ合う……ということは素晴らしい、他社比較のうえに成り立つ、自己理解につながることでしょう。

そして、これこそがカメラの最大のメリットだと思うのですが、そこに点数や優劣の概念が、基本的には存在しえないと言う事が、この趣味の最大の魅力だと思います。

通常、お互いが違うものを出しているとき、ほとんどのものが点数などで優劣がついて、勝敗のようなものが見えるのですが、写真というのは本当に、見る方によって評価がまったくことなるものなので、ある方にとっての正解が、違う方にとっての不正解になったりと、お互いの尊重が、他の趣味に比べて比較的容易なのです。

だから、写真仲間とは、たのしい交流が出来る!と思うに至ったのです。仕事がら、いつも「差別化」だの「競争」だのというものに晒されている私にとって、この発見は革新的とも言えました。

私がカメラに傾倒した理由の1つがここにあります。

長々と書いてきましたが、このような魅力的な趣味への私の想いを、ひとりでも多くの方にお届けできれば幸いです。

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