さて、今日も研修の学びから。1つの研修でコレだけ多様な学びがあったと言う事は、以下に私が「まっさら」なのかと言う話もありますが、スポンジのように吸収できるという意味でもあるので基本ポジティブです。
理屈を理解するとありますが、それはどういうことなのか? それは「知識を単に詰め込んで、そういうものだからと覚える」のではなく、「なぜ、そういう事になるのか?と言う背景まで理解する」と言う事です。
レタッチの研修を学んでプロの先生に感銘を受けた訳ですが、私の場合技術的な部分はもちろんの事、その背景に精通する知識を伺って、「ストンと腹に落ちた」からです。この「腹落ちする」というのはもの凄く大切なことで、私自身、マーケティングコンサルティングを進めるときに、かならずお客様に「どうでしょう、何かございますか?」と立ち止まって、確認するようにしています。
人間は、頭で解っていても「心で理解していないもの」というのは、余り実行に移しません。あるいは、覚えていても、スグに抜けてしまうのです。「痛い目にあったほうが良い」と言う言葉がありますが、この言葉も要は「経験しないと分からない」という暗黙の理解の裏返しであり、実際問題、我々は「経験していない事」を正しく理解する事はできません。
今回は、その講義の中で先生が、レタッチに至った背景。その調整を行う理由、遠くまで行けば印刷の歴史や、プロセスまで触れておられたのですが、私は実はもともと制作会社でADからキャリアをスタートさせており、入稿(印刷物をつくる)のプロセスを体験していますし、メインクライアントの1つにインキ世界シェアNo.1の企業様もいらっしゃいますので、この辺りは一般の方よりも理解があったこともあって、もの凄く「なるほど!」と思う事が出来ました。
正しい理解は何をもたらすのか
本当の意味で何かを理解した時、我々は「規格外」のことに対応が出来るようになります。たとえば、今回一眼レフで学んだレタッチは、これまで「ああ、この写真は失敗だ。消してしまおう」と思ってそうしてしまっていたはずの写真を「いや、これはレタッチで直せるな」などと解っていれば、その写真を「削除する」事がなくなったり、減ったりするわけです。
これは、マーケティングの戦略や戦術も同義で、基本的に現場と言うものが「教科書通り」や「狙い通り」に万事問題なく上手くいく……と言う事はありえません。結局そういうときに求められるのが「本質への理解」であり、だからこそ、我々はその時に起こっている状況に的確に対処できるようになるのです。
これが、「応用力を持っている人間」と、「基本(うわべの学習)だけでしか理解していない人間」の差であり、真の理解とは基本的に(特にイレギュラーなケースにおいて)我々の選択肢を無限に拡張してくれます。
「この状況なら、なんとかなる。自分なら、どうにかできる」
一眼レフの取れ高、取れ方にせよ、マーケティング戦略の進捗にせよ、世の中はイレギュラーの方が多いのが「当たり前」です。そういった状況に直面した時に、対応できる「幅」を持つためにも、理解を、「知識だけ」と言うポイントに終わらせず、もう一段階踏み込むことで「理解を浸透させる」と言う状態まで持っていく学びの姿勢を、常に忘れないようにしたいものです。