カメラを担いで様々な場所に足を運ぶようになり、時に「野鳥」と言った被写体を狙っていると「ほう」と思うような出来事がありました。過去にも別の角度からこの話は切り取っていたのですが、どうも要因が1つではなさそうだなと。
それは何かというと、「ロングレンジ(望遠)のカメラで絵になる場所は、短い焦点距離(標準レンズ)だと絵が創りにくい、など、レンズには得手不得手が明確に存在する……」と言う簡単ながらも改めて考えると納得する事実です。
マーケティング施策なんかも実はそうで、私自身、たまに「はあ?」と思う事が、小規模で機動的に動けるベンチャー企業のマーケティング戦略を、何故か大手企業が「なるほど!」と参考にしてしまってみたり、あるいはその逆で「大手だからできる王道の戦略」もっとひどいのは「パワープレイ」を中小企業が模倣しようとして大怪我している例などがあるのですが、万事「すべてに的確に当てはまる戦略などない」というものを理解せず、どうしてなのか多くの企業は上手くいくとされたものは「そのまま当てはめようと」する傾向がしばしば見られます。
話を写真撮影に戻して、標準レンズで整然と並ぶ菜の花畑を、シンプルに切り取ろうとすると、どうしても「構図」に妥協が出たりしてしまう。逆に「菜の花+野鳥」くらいわかりやすい構図だと、これは望遠がかなり活躍出来て、あとは野鳥の機嫌や生体を気にしながらどうにか写真撮影のチャンスをうかがう…というシンプルな構図にする事が出来ます。
「トンカチを持つと、すべてがクギにみえる」みたいな言葉はたまに使われますが、有効な戦略と言うのは得てして「それが最適にハマる環境にあって初めて成果を発揮する」訳で、まさに「適材適所」的な道具や戦略・戦術の使い分けは、どんな分野においても有効……と言うことになるのだともいます。
同様に、あるシーンにおいて「全く役に立たなかったこと」が別の角度から切り取ると「有効に機能する」事もあり、ある特定のパターンで成功しないからといって「コレは無しだ」と簡単に断じてしまうというのも危険な要素をはらんでいると言えることでしょう。
結局我々は、それがどんなに王道かつ有効と言われる施策にせよ「自分(自社)ならどうなるのか?」という意志を常に持つことが重要で、その成果に対して「正しい評価を行う」事でのみ、その価値が証明されるという事です。
美味しい料理、人気の映画、楽しい観光地など、仮に圧倒的多数が「賛同」をしたとしても、それが「自分にとって価値があるのか?」と言うのはまったく別の問題です。
常に、その存在が「得意とする長所」を活かしつつ、自分の中で最適化し、「適材適所」を活かすことで、長所を伸ばしていく……そんな道具や、戦略の使い方を体で覚える事こそ、上達への近道といえるのでしょう。