マーケティングコンサルティングを生業にしている自分から、このような「ザ・営業」とも言えそうな言葉が出てくることに、少し「意外だな」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
マーケティングが成功している状態では「自分から何も働きかけが無くても、周りから常に必要とされる状態」のような状況になるからです。過剰な広告を打つ必要もない。派手な煽りなどなくても良い。お願いして案件化させるなどの苦労もしない。
その佇まいとブランド力で堂々と、必要とされるものに、適切に対処していく。
そんな状況になっていくからです。
しかし、一方で私はこの「足で稼ぐ」と言う事は、特に初期段階では必須レベルの重要事項だと考えています。かと言って、弊社は創業時点で飛び込み営業などをしていた……と言う事ではありませんが、それはサラリーマン時代の現場経験があったからこそで、それ相応に網を張り、自分なりの活動をしたものです。
そのほとんどは本日時点では弊社の成長に伴い無くなって言ったり形を変えて行っているのですが、とにもかくにも初期のころに「足で稼ぐ」と言うのはビジネスの本質であり、基本です。この部分を一足飛びにして、「私の考えた最強の戦略」などと大上段からモノを言っている以上、それは永遠に机上の空論です。
趣味であっても、それは同じ
では、この話は「一眼レフ」のような趣味であっても、同様に適用されるのか?と言われると、答えは「YES」です。え、どこで? と思われるかもしれませんが、写真撮影においてもっとも「足で稼ぐ」が発揮される瞬間は、まず間違いなく「主題(被写体)」探しです。切り取れそうな場所、時間、被写体を歩き回っているだけで数時間を費やす……などと言うのは、写真を初めて2週間程度のわたしでも相応に経験しています。
私の場合、仕事での移動や、ある程度目的をもって練習していますから、それでもまだ「歩いていない方」だと思いますし、特にこの東京近郊は「だいたいの場所になにがしかで行っている」ケースも多いため、ザックリ検討はついていますが、それでもよく歩きます。
たとえば、電車の写真で投稿しているドクターイエロー(黄色い新幹線)の写真にしたって、浜松町の景色を考えながら、有楽町で普通の新幹線をサンプルに構図を見ていましたし、そのあとは構想の建物の上層階からや、東京駅の中まで、数時間は考えを巡らせながら「まずは、駅で撮るか」と、決めていますし、ドクターイエローの様に被写体が「明確」なら、まだある程度見込みも立ちますが、街中を切り取るような写真については、これはもう完全に「歩け歩け大会」みたいになるわけで、私自身あるくのが大好きだから問題ありませんが、結構歩いています。
徐々に効率化を体得していく楽しさ
しかし、一方で「では、一生これが続くのか?」というとそんなことは無くて、こういう「行動」というものは「慣れることで、行動量や、負担に感じる総量を減らすことが出来る」からです。
みなさまも、会社に入社したばかりのころは文化に馴染んだり、仕事を覚えたりと、やたら疲れたり、非効率だったりしていたと思いますが、数年も経てば、良い意味でも悪い意味でも「慣れ」と言うものが生まれ、いわゆる「効率化」が自然にできるようになっているはずです。
たとえば、私自身もこの写真を撮影して、記事を書いてアップするという(趣味的要素はあっても)仕事をこなしている訳ですが、これだって、創業1年目の私だったら「そんなことしている場合じゃない!」と言うくらい目が回っていたし、精神的余裕などもなかったはずで(実際なかったです)、こういう事は「今だからできる活動」であることに相違ないはずなのです。
結局、仕事にせよ、趣味にせよ、そういう所期の「足で稼いだ期間」があればこそ、積極的に取るべき行動や、避けるべき行動、良いと感じる感覚や、手を抜ける勘所……などが見えてくるわけで、だからこそ最初は「大いに疲れよう。足を使おう」ということを、私は否定しません。
むろん、努力と言うものには「そもそもの方向性」があるわけですから、特に私のマーケティングコンサルティングみたいな事業では、「もっともその企業にとって効率の良い、成果の出る最適な方法」を、私の知見からズバッと見出していくわけで、それがプロのプロたる所以なのですが、その線上にあったうえで「そのうえで本人たちが頑張る」と言うプロセスは当然存在し、だからこそ弊社事業で言えば「出来るようになるマーケティング」が実現する訳です。
なぜなら、こういった素用、たとえばマーケティングならそれは「施策をつくっている際に、売れそうな感覚が分かる」だったり、一眼レフなら「見る目が肥える」とか、「頭の中で景色の中を切り取れるようになる」というのは、鍛錬の先にしかないからなんですね。
だからこそ、足で稼ぐ。
特に初期のころは、この一見して「コスパ・タイパの良くなさそうなことに時間を費やす」ことで、最終的にはそこを超越できるようになるということを、特にそういう事を気にする方々にこそ覚えておいてほしいものです。
正しく努力すれば、その一見無駄に見えるものは、無駄ではない……と言う事です。