マーケティングコンサルティングを行っている経験談で、そこそこ発生する状況があります。それは、これまで「自分なりのやり方」を貫いてきた方々だからこそ「最初はまったく聞く耳を持たない」みたいな状況です。私の様に(自分で言うのもなんですが)コレだけの短期間で、多くの企業の支援実績を実名で公開できるような成果を出していても、それは「普通に起こり」ます。
ただ、私が別にこの状況に何か文句を言うことは無く、それは逆の立場だったら「当たり前の反応だ」と思うからです。
なぜって、どこの馬の骨かも分からない外部のコンサルタントが突然やってきて、いかに「良くしていく」と言っても「急にぽっと出が、我々の何を分かっているのだというのだ」と思われるのは当然のことだからです。
まあ、自分の場合は、最低限、話に向かい合ってくださればそのあたりは(僭越ながら)「なるほど、確かに正論だ」と思っていただけるくらいの実力も実績もありますから(じゃなきゃ1人であれだけの成果は出せません)、ビジネス的には、そこはそんなに気にしない課題なのですが、個人的なマインドセットとして「もったいない」と思う部分は正直あります。
と、言うのも、そもそもそういう機会は「まあ、なんか色々ウゼーけど、せっかく時間取られるんだし一応ちゃんと聞くか」くらいでも良いので、ある程度「前向き」に活用する方が無駄が無いからです。
我々は常に、特に時間をかけてきたものほど「早々変えられるわけがない」と思うものですが、(申し訳ないのですが)それでは状況が打開できないから、そういう機会になったことは事実です。既存のやり方、在り様でシッカリ満足のいく結果が得られていれば「そもそもそういう状況には、ならなかった」訳です。
つまるところ、この状況になった受け手側に暗黙的に求められているのは「アップデートや変容」に他なりません。
これは趣味の領域も一緒で、「我流」や「一定の型」を突き詰めてくと、人間と言うのは「壁」に当たるように出来ています。むろん、そこで愚直に貫くのも1つのスタイルですが、「それ以上」を求めるのならば、意識・行動・やり方など、なにがしかを「変革」する必要はそこにあり、それが、多かれ少なかれ変革(痛み)を伴う事も珍しくありません。
私はよく、自分のコンサル導入の相談時に「虫歯治療」の話をするのですが、世の中には「この痛み止めを飲んでおけば、痛いのは忘れられますよ」と言うような「耳あたりの良い話」をする人は本当に多いものです。そういった話は「じゃあ、これでしのごう」と思うには最適ですが、その実、虫歯はその間も確実に進行していきます(痛み止めは治療では無いからです)。
しかし、これがこと「治療」となると、これは確実に痛みが伴います。そして、「どうせ治すなら早いほうが良い。じゃないとドンドン酷いことになる」のは皆様が簡単に予測する、その通りです。
それはビジネス領域だろうが、趣味の領域だろうが、事実でしかありません。そして大方の型が思われるであろうように、「なんで、こんなになるまで放置しておいたんだ」となってからでは、かなり厳しい戦いを強いられることになるでしょう。
と言うことで、自分はこういう仕事をしていても「なるほど。わからん」と感じたら、なるべく広く可能性を探って情報を伺う事にしています。お客様にもよく「あなたは、他のコンサルと違って分からないことを本当に聞いてくれますよね。正直、製品については自分たちの方が詳しいので、コンサルの方が先生だから詳しくないといけないってふるまうのを見ていると歯がゆい時があるんですよ」と言われたとき、「まあ、当然そうなるわな」と思ったものです。
さて、話を趣味性に戻して、写真撮影も取りあえず「わからん」の精神で突っ込んでいます。どんなに年齢を重ねようが、他の分野で成功していようが、この部分では「堂々と素人」だからです。道具が良くたってダメなものはダメなんです。
だからこそ、安っぽいプライドを捨てて後輩にだろうが、部下にだろうが、年下にだろうが「うん、わかんねえ。教えてください」と素直に言える大人になることは、本当に上達を加速させます。
「すべてを師とする」というコラムでも書きましたが、特に写真は「感性」も乗ってくる世界ですから、本当に自分の娘の意見に教わることもあります。時には自分があまり好きではない人の意見すらも「そういう見方があるんだ」とハッとさせることすらあるものです。重要なのは「聞くだけ聞いた」後の話で、それを「処理するのか、受け流すのか」を決めていけばいいだけなのです。
つまり、「聞く」と「処理する」は別のプロセスとして分けて考えるべきなんですね。
ここを同一視するから「聞いたら処理しなきゃ」と思う人が多い。だから「ならいっそ聞きたくない」となる。
でも実際は「聞いたけど、まあこれは不要」と思っても良くて、体裁情は「ありがとうございました!」とお礼は言っても、採用の可否は自分で決めれば良いんですね。特に趣味の領域なら、結局、最後は自分にイニシアティブがあるのですから。
どうか、「聞く」ことと「処理すること」を使い分けで、上手な上達に活かしてほしいものです。