とことん受ける

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マーケティングコンサルタントをしていると、やはり私のような人間は「外部の人間」ですから、担当の方からすると初期の段階ではクライアント企業様にあっても「理屈をそのまま受け取れない(分かっているがやりたくない方)」もいらっしゃる事は分かっていますし、その意思は尊重されるべきものです。

ただし、それを「何の根拠もなしに押し通し続ける」というのは、いささか無理筋になってしまうことも事実で、要はそういう意識は「成果の上に見直され、結果を正しく受け止めたうえで取り組むべきは取り組む」と言う至極真っ当なサイクルが適用されるべきであり、特にビジネスなら、それが「道理」だという事もまた事実です。

私はコンサルティングであれ、自身のプライベートであれ、こういった「体験を受けきる」事を重視しており、自身が犯したミス(たとえば、写真撮影なら、気軽にカメラを持って行ってバッテリー残量を確認しないとか、レンズを間違えるなど)については、それが発覚した時点で毒づくことなく「その状況でやれるだけやって」見たうえで「ああ、もう、こんな思いするべきじゃない。ちゃんとしないとダメだな」と、思いを新たにする……そんな行為を大事にしています。

少しいつもの展開からは話はそれますが、特に親の方に共感頂く私と娘のエピソードについてお話ししましょう。

私の娘は小学生なのですが、ある時点まで本当にゲームが大好きで、他の事が全部疎かになってしまう……そんなタイミングがありました。コロナの状況がかわいそうだから買い与えていたのですが、それが悪い方に作用したと。で、親としていくら注意しても「わかった」と言うばかりで止めようとしなかった時期があったんですね。

そこで、私がしたことは「次にそれをやったらコードをハサミでぶった切るからね」と言っていたのですが、まあ娘も「本当にやる」とは思わなかったようで、また違反したと。そこで私は、目の前でハサミを取り出してACアダプターをブチんとぶった切り、晒し首のようにリビングに飾った挙句、

「だから言ったろう。2週間できないからな。2週間後に買うから少し負担しろ」

と言い残したわけです。娘は泣くというよりも「本当にやるとは…!」という意識(驚き)の方が強かったと思います。

さて、そこから2週間。妻は「そろそろAmazonで注文したら?」と言ってきたのですが、私の回答は違いました。

「違うよ。今から自分でビックカメラに行かせる。着いていくけど口は出さない。自分でやらせるんだ」と言いました。

当時、娘はまだ小学校の中学年程度ですから、買い物経験すら未熟だったと思います。そんな娘に「ひとりでバスに乗らせ(まあ、実際には同行はしていましたが手助けはせず)、現地に行かせ、買い方なども自分で考えさせる」という行為を課した訳ですね。これは娘にとっては「試練」だったと思います。

もちろん、親としてACアダプターの在庫がお店にあることも事前に確認していましたし、売り場も買い方も知っていましたが、それらはすべて黙っていました。はたして、娘は「もしかしたら無いかも知れない……」という恐怖の元、現地に赴くわけです。

現地について彼女は私の顔を見て「ついたよ。どうやって買うの?」と聞いてきましたが、コチラの回答は決まっていました。

「知らないよ。自分で考えて、自分で探すしかないだろう? 君が買うんだから」と突き放したんですね。
しばらく、もの凄く不安そうに探すが見つからない彼女、明らかに余裕がなくなっていくのが手に取るように分かります。

「どうしよう?」

半泣きになって戻ってきた彼女に、少しだけヒントを出します。

「お店の人に聞いたらいいじゃないか」
「でも、どうやって聞いたらいいのか……」
「知らないよ。それも自分で考えるべきだろう? 君のせいで買うことになったんだから」

結局、彼女は勇気を持って店員に自分なりの言葉で伝え、見事に目当てのものを見つけました。その時の「安堵」の表情はコチラがおおむね予想した通りのものでした。

かくして、娘は失ったACアダプタを手に入れた訳なのですが、ここで私がしたかったことは「1つだけ」でして、それが彼女に「こんな思いは二度としたくない」という感情を徹底的に植え付ける事です。自分が取った行動の責任を「自分で取らせた」んですね。

この行為について賛否両論あるかもしれませんが、私はコレを「娘の将来までも考えたやさしさ」と理解しています。そもそも、私自身平静を保っていてもある意味、彼女よりソワソワしながら(大丈夫かな……)と彼女の動向を見守っていたからです。

ただ、この年齢で、このくらい壮大に苦労した経験があればこそ、娘は同じ間違いを犯さないだろうと。気軽な気持ちで犯した罪の代償を「体で覚えた」からこそ、二度とやらないだろうと自制していました。見事にやり切った娘は本当に立派だったと思います。

そして、私の目論見通り、娘はそれ以降「ルールを守れる人間」になりました。

私が「体験を重視する」と常日頃から述べている意味はこれです。クチだけなら人間どうとでも言える。なあなあに見過ごすこともできる。しかし、我々は人間として、社会人になれば特に「自分で蒔いた種は、自分で回収」しなければなりません。

そんな社会に適合するための教育は「蝶よ花よ」というよりも、厳然たる事実のと忘れようのない体験(この場合は、不安も、安堵も、達成感もすべて)を通じて覚えるほうが「忘れようのない記憶」になるという事です。

これはビジネスであれ、写真であれ、子供であれ、大人であれ「そう」だというのが私の見解です。人間、こういう事象に悪態をついたり、見ないふりをしたり、逃避したりすることもできますが「向かい合って、苦労の中」でも「体験するから」こそ、人間は成長できるのです。そして、人間は「自分の行いがちな行動」に慣れてしまうものです。

だからこそ、「ひどい経験」は早期に成されるべきであり、それを温かくフォローをするのが親(あるいは上長、コンサルタント)の務めだと理解します。

目の前にある事象を「受け止める」と言うのは時に苦痛を伴います。しかし、だからこそ、その先に「成長」があります。どんな地位、立場であってもそれは一緒です。ビジネスでも、趣味でもです。

常に自制し、認めるべきは認め、責任を取ることで前に進める人間になりたいものです。

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