感動を知る

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みなさまは、「感動」を聞くと、どんな感情をイメージしますか? おそらく、多くの方が「思わず涙が出てしまう」と言ったような心がホッと暖かい打ち震えるような心境をイメージされる方が多いと思います。

しかし、実は「感動」とは文字を読むとそのまま「感情が、動くこと」を意味しますから、それが「哀愁」「悲しみ」「何とも言えない心境」なども、広義では「感動」となります。感動があることで、人は行動を起こします。

マーケティングの世界では、しばしばこの「心」と言うものに対する訴求が重要視されます。たとえば、何かのサービスを訴求するとき、その商材にはシンプルに考えて「2つの方向性出の訴求」が存在します。マーケティングは基本的に、相手に「気づき(Attention)」を与え、興味を持ってもらうのが初動の基本思想なのですが、それをたとえば「やせ薬」に適用すると、これをプラスの方に作用させると「この薬は飲むだけで痩せることが出来ます」といいますし、これをマイナスの方に作用させたときは、このキャッチコピーは「この薬を飲まないと、あなたは太ったままです」と言う言い替えをすることができるようになります。

人間と言うのは「負の感情」に対して、ポジティブなそれよりも大きな印象を受けるようになっていますから、マイナスの感情で訴求するとき、それは「嫌だな」という印象も相まって大きく作用する事があります。老後の資金が不安、本当の自分が見つからない、このままではいずれ…というような訴求は、マイナス側を上手く活用しているとも言えます。

この場合、どちらが正しい、というよりもその商材や、企業ブランドが持つイメージを「どう使うのか?」の方が注目されるべきであり、価値を正しく訴求できるのであれば、どちらを使うのも(倫理的に問題が無いのなら)アリですし、それは企業の戦略や文化、イメージによって形成されるものです。ただ、どんな人間にもプラスとマイナスの感情が両方存在するのが普通であり、マイナスの感情と言うのも「危機意識」等に代表される、生物としての存在のための必須の感情ですから、「無いほうが良い」とはなりません。

どちらも等しく重要に考えながらも、上手く付き合っていく事が望まれるのです。

さて、この「感動」という感情は面白いもので、「感情を動かす」と言うのは必ずしも「言葉になるとは限らない」こともあるのです。何とも得ない、得も言われぬというような微妙な心の動き。そういう湖面にわずかに生じた小さな波紋のような心の動きも「感動」を形成する重要な要素であり、写真などには、しばしばそういうものが表現されている事があります。

たとえば「感動する写真」と言ったとき、それは親子が抱き合って泣いているような解り易い「良かった」と言うものだけではなく、たとえば震災の跡地を呆然と眺める人物の写真も、当然ながら「感動」であり、これによって我々は「自分は、どうしたらいいのだろう」と自省するきっかけなどにもなりえる。

そういう要素を持ったものだからこそ、様々な感情と正面から向かい合い、「感動」をチープなお涙頂戴にしないメンタルを持つことが、写真に「感性を吹き込む」と、私は最近考えるようになりました。

そういう写真を撮りたい…というよりも「そういう感情になった時に、ちゃんと写真にそれを収められるようにしたい」という意味で、自分の技術向上に目標を据えることができれば、写真に対してもっと真摯に向かい合えるのかなと。そんなことを少し考えながら、「ありのままの感情」を込められるように、日々、努力をしているところです。

感情をシンプルに受け止めつつ、感動をシンプルに考えない。そんなありようが大人だからあっても良いのではないかなと、思います。

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