どんな物事も、それに取り組む中で順調の成長・推移するフェーズと、壁に当たるなどして模索をしているフェーズがあります。仕事にせよ、プライベートにせよ、万事順調すぎるというのもまた凪のようなもので「つまらない」事もありますが、基本的に我々は「難解で困っている」時間が長く続くよりも「順調に成長を続けている」フェーズをなるべく長い時間持ちたいものです。
ところで、世間でのビジネスへのアプローチを見ていると、本当に様々なタイプの方がいらっしゃるなあと思います。
最初から博打のように「仕掛けていく」タイプの方や、自分自身の形成した人脈(という言葉は個人的には好きじゃないのですが)をとにかく活用していく方、慎重に足場を固める方など、まあ起業をする……と言う行為自体が日本では「結構攻めている」と思われるアクションだと思うので、基本的にはパワフルでアグレッシブな方が多いのですが、実は、私は自分なりには、結構「守備型」だと自認しています。
と、言うのも経営にせよ、マーケティングコンサルティングにせよ「まず、確実に成果を出すこと」を重視し、そこに必要なピースをそろえ行く……というのが私の王道の初動だからです。クライアント企業様にも、本ブログの節目節目で出てきますが「まず、小さな成功体験を持って頂くこと」というのは偶発的ではなく、計算のうえで、必然的に発生するようにアプローチし、その中で勝ち得た実績を持って次のステップに進んでいく……、そのような「堅実性」が私の根底にあります。
しかし、ビジネスと言うのは基本的に「競争」ですから、そればかりではやっぱり勝てません。ですから、いわゆる「勘所」と言う場面では「アクセルを一気に踏む」と言う大胆なアクションも、時には必要になることがあります。
その見極めこそが、マーケティングの醍醐味なのかもしれません。
では、趣味に置き換えてみたときにはどうでしょうか? 一眼レフを手にした私が、まだ1か月も経たない中でとにかく「何をしたのか?」と言えば、それは行動だと思います。年始の休日の多い時間を有効に活用し、仕事以外の時間の大半をこの趣味に集中的に投下することで、移動中は知識の収集、カメラを持ち歩いて構図や被写体の模索、撮影、そして評価のために精査して投稿、確認、反省、改善……と言うプロセスを繰り返す中で、かなり早期に「あ、これかもしれない」と言う可能性に出会う事が出来ました。
人間は、直感「も」信じていい
こういう、いわゆる「ピンとくる感覚」というのは、チャンスでもピンチでもいずれの顔でも自分の前に到来することがあるのですが、重要なことはそのタイミングで「物怖じしたり、引き下がっている暇はない」と言う事です。
もちろん、これはビジネスの話が主で合って趣味なら「自分のやりたいように、すきにやればいい」訳ですから、別に攻める必要はまったくないのですが、「いまは下手かもしれないけど、上達したいのだ」と、もしあなたが豪語するのならば、ココこそ「勝負時」と言えます。
実は、マーケティング論で述べると、人間は「期待で生きて」います。
行ったこともない旅行先に「良さそうだから」行くわけですし、食べたことのない料理も「美味しそうだから」注文します。遊んだことのないゲームも「面白そうだから」購入する。
つまり、我々は「行動を行使した時点では、何も確定していない」ですね。
私は12年ぶりの「一眼レフを手に」にしてから、どうしても「作品創りを目指したくなり、Leica M11と言うとんでもない(身の丈に合わない)カメラ(総額約200万円)を手にする事になるのですが、なぜ一見してそのような、一見して「暴挙」に走ったかと言うと、私自身が短期間ながらも一眼レフをもって様々な被写体を撮影し、撮影を通じて自己理解、そして当サイトを始めたとした表現の場でコンテンツ(写真・ブログ)を生成する中で、(ああ、この方向性かもしれない!)と、ピンと来た(期待が生まれた)からに他なりません。
基本、人間の直感と言うのは自分でも理解していないレベルの心理なども影響した結果に出てくるものだそうで、大筋の場合、直感は「そんなには間違えない」と言います。つまり、インスピレーションだけの産物に見えて、実は結構ロジカルでもある……ということでしょうか。
実際、購入して数日なのですが、すでに「これは買うべきだった。本当に良い決断をした」と確信しており、「写真を撮る」という概念が正直変わりました。
具体的に1つだけあげるとすれば、それは「被写体を探しに行かなくてよくなった」事でしょうか。とにかく、周りに移っているものを簡単に作品として切り取れる不思議な力。名機が名機と呼ばれる理由を、道具から教わる日々です。
ロジカルに固めると
インスピレーションでは、上記のような整理が出来るこの話ですが、たとえばマーケティング戦略上や、人生と言う粒度で見ても、理屈で固めることは出来ます。たとえば、Leicaのカメラは「欲しくても買う事に踏み出せない」人が本当に多く存在しています。それは、このカメラについて調べ始めてすぐにわかったことです。一般人のみならず、プロのカメラマンでもそういう方がいらっしゃる。
「いつかは、ライカ」という言葉もあるようですが、それを60歳や70歳の記念などに手にする……と言う事もきっと良い事なのでしょう。しかし、個人的には「どうせ手に入るものならば、今手に入れて使う方がアドバンテージが大きい」と私は考えます。
たとえば、今年45歳の私が、60歳になるまでLeicaを使えば、すでにその時点で「Leica歴15年」と言うことになります。盆栽の話で、昔大笑いした話で、盆栽のプロが「盆栽業界で名を馳せたかったら30代くらいから取り組めば凄いことになる」と、おっしゃっていた…というものがあるのですが、つまり、それはマーケティングで言えば「先行者利益」というものであり、この時間の概念だけはすべての人間に等しく与えられているリソースであればこそ、逆転が利かないのです。
加えて、ビジネスの視点から「Marketer’s Lens」というものを事業として捉えれば「Leicaのカメラで撮影した写真が掲載されているWebサイトで、初心からの記録が載っている」というのは完全なる差別化であり、とてつもない参入障壁になることでしょう。
ただでさえ、「マーケティングコンサルティング業界で結果を出しているプロ」がカメラの面白さと成長を語る……と言うコンセプトそのものがユニークなのに、そこに加えて「カメラが名機」となれば、ココに参入するのは(コスト的にも)容易ではありません。
ですから、何かにつけ「勝負時に踏み込む」というのは「自分の許せる限り」においては、大いに踏み込むことで、可能性の扉を開くことが出来るようになると、私は思っています。
それは、創業1年目のヒトモノカネが何もない時からそうであり、コツコツと「本当にやりたいことが出てきた時に、ヒトモノカネ、何かが足りなくて、出来ないと自認する事は最も不幸なことだった」と言う自らの過去の経験を踏襲した長期的な戦略であり、勝負時を見極める自分の「眼」を信じる行為でもあります。
結局、人間というのは「やっておけばよかった」とは、後悔しやすいものの「やらなければよかった」と後悔するのは、理性的な判断をしているときにはあまり起きないものです。良く考え、「勝負時」が現れたときに、シッカリとそのチャンスを掴む。
端的に述べてしまえば、当サイトのブログ、「撮影とマーケティング洞察」は、結局すべて、それを「成す」ための「準備」のためのコンテンツであり、そこに実際の撮影、表現(写真)が加わるから「上達していく」と言う事にほかなりません。
日ごろから、楽しみつつも「準備」をしておきたいものです。