これまで、私が本業のコンサルタントをやっているときに、時折考えたり、あるいは人さまが思っているであろう事として考えていたことは「そんなに上手にマーケティングが出来るのならば、自分で商売をしたらいいのに」という至極もっともな話。これ、実は当事者本人に言わせると、お客様を見ていて「ああ、これは勝てないな」と思う事がありまして、それが何かというと「自分の商材に対する自信や、情熱があること」だったのです。
私は、職業柄、ものの「価値」を見つけて、それを可視化する事に長けている自信があります。ですから、事業も巧く回り、いよいよ7年目になる。ですが、写真と言う趣味では、そんな仕事だったものですから、「せめて趣味の時間だけは人間から離れよう」と、景色を撮ってみたり、野鳥を撮ってみたり、リラクゼーションのようなものがあったのかもしれません。
ただ、あるプロの方に「人間を撮ってみると良い」と言われ、彼の作品に触れたとき、運命が変わり始めます。初めて人間に意識を向けてレンズを構え、特に職人と言う存在にリスペクトを込めて写真を撮影した時、そこには何とも言えない、私が仕事で普段意識している「価値を見出すような視点」が、作品に込められている事に気づくに至りました。
「そうか、そうだったのか」
お恥ずかしながら、私は自分が「何が得意で、なぜこの仕事をしているのか」を忘れていたのかもしれません。
そうして、被写体に情熱を込めてカメラを構えられるようになった時、私の「写真」は、「記録」から「作品」へと変化を始めたような気がします。
練度をあげるというのは、必ずしも技術的なことだけではなく、心理的な「想い」も非常に重要であることを、あらためて思い起こされたような気がします。「これが好きだ」「これを届けたい」そういった物に巡り合えるための1年間でしたが、その起点が「情熱」にあることを、あらためて記すとともに、少しでも多くの人に伝えられればと思います。